二代目

今年の春に大将が亡くなられ、それっきりだった京都のふぐ屋「いつ島」から葉書が来て、女将さんと娘さんとで再開するという知らせ。
いつ島が無くなって、一体何処でふぐを食べたらいいのか、と思っていた所だったので、南座顔見世の後、久々に訪問する。遅い時間ゆえ、客は私一人。

いつものように硬めの煮こごりから。食べつつ聞くと、おかあさんも、娘さんも前からふぐの調理師免許は持っていたそうで、その点では問題無かったが、やはりお父さん無しで出来るかどうか案じていたとの事。まあ、ごとごと(これ土佐弁?)やればいいじゃない、と励ましていると、てっさが出る。お父さんは目の前で刺身を引いていたが、今日はあらかじめ盛り付けたのを冷蔵庫から出す。


お父さんの様に手早く出来ないから、待たせぬ為か、とも思われるが、やはり風味が損なわれる様に思われる。いつものもちもちが無いと言おうか。お父さんの手の温度が微妙な旨味を醸成していたのか?
そうなると、ぽん酢の味まで少し変わったような気がしてくる。酸味が足りぬような。

続く白子焼き、焼きふぐも、何かが違うような気がする。気のせいかも知れぬが。お父さんのキャラクターがこちらの味覚にもかなり影響していたのか?それともふぐ選びの問題か?兎に角今日は久々に弔問と再開祝いを兼ねた訪問ゆえ、何も言わずに世間話をしながら食べ終える。

たかがメシとは言うものの、たまにする食い道楽は、もとより単なる衣食住の一つにあらず、食材はもちろん、時間と場所と人とが上手く合わさって初めて人生を豊かにする大妙薬となるのだから、思い入れのある店ほど、二代目の継承は難しい。

しかし、当座私にとってのふぐ屋はやはりいつ島をおいて他に無く、二代目の奮闘を見守りたいと思う。
私も創業時、今より更に未熟この上無い者だったのを、どれだけ御贔屓の気長い、温かい励ましで支えていただいたことか。

人間は自分がしてもらった事を、必ず誰かにして返さなければならない。それが順繰りというものである。

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