役者の私生活について

私は若い頃から演劇界に出入りしている関係で、一般の人より多少は芸能人の素顔、普段の人となりに触れる機会がある。
だから随分若い頃から「芸は人なり」という言葉について、ずっと考えて来た。
俳優なんと言うものは、舞台の上、スクリーンの上で輝いていればいいのであって、私生活は奔放でメチャクチャでもいい、という考えがある。
私は基本的にはこの意見には賛成である。
役者が聖人君子である必要はないし、女優が今年のレタスの値段を知る必要もない。
反対に食い道楽や着道楽、あるいは女道楽男道楽を全くしない役者なんてものはろくなものではない。

しかし、そこには条件がたった一つある。
それは何か?
昔からのヤクザな人間たちの不文律に、「金は汚く稼いできれいに使え」という言葉がある。
役者の稼ぐ金なんてのは、極論すれば一時の人気に乗じたアブク銭である。今でも銀行は芸能人には大きな金は貸しはしない。

だから本当は勝新や藤山寛美のような金の使い方は立派なお手本なのである。
最終的に借金を踏み倒された人間がいたとしても、その連中は、自分が勝新を、又は寛美を贔屓にしてやっている、という虚栄心を満たしたのだから、これはおあいこである。
ただ、勝新や寛美は、飲みに行った店を喜ばし、連れを喜ばし、その上たまたま居合わせた関係ない客にまで驕りまくって借金をふくらませたのである。
間違っても、自分より弱い立場の人間を恫喝したり、酒場の飲み代を踏み倒したり、タクシー代を値切ったりは決してしないのである。
だいたい、飲み屋で威張るなんてえのは、土佐弁で言う「田舎のおんちゃん」のする事である。

私は高校一年生の時から、中村歌右衛門、尾上梅幸、山田五十鈴、杉村春子といった名優たちの楽屋へ出入りさせてもらったが、皆一様に紳士的であり、どこの馬の骨とも知れぬ私に対し、一人前の人間として接してくれた。この人たちが、たとえいかに好色であろうと、大酒呑みであろうと、私はそれが彼らの傷だとはまったく思わない。
何故なら、彼らが舞台で見せた芸には、楽屋での紳士的振る舞いそのままの、人間性が溢れていたからである。
こういう事を「芸は人なり」という。

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