心残り

新年早々追悼である。
天王寺屋が亡くなった。五代目中村富十郎。

沢潟屋(猿之助)をして、歌舞伎界に三人天才がいるとしたらその一人、と言わしめた踊りの名手であり、と書いて後が続かない。
音肚朗々というのはこの人の為にあるような言葉だったくらい、大劇場に響き渡る口跡だったが、私にとって、天王寺屋といえば、やはり椀久である。

今宵も一人お通夜で椀久のビデオを観た。
この一作で、この人は人間国宝である値打ちがある。戦後の日本人がまともな教育を受けて育っていれば、マイケルジャクソンどころじゃないスーパースターである。
京屋(雀右衛門)の松山がいいのはもちろんだが、実に素晴らしい。仁左衛門玉三郎がいかに美男美女コンビであろうが、この曲に関しては、このコムビには及ばない。何が違うか?

一言で言えば「色気の種類」が違う。
これが分かる客が今の歌舞伎ファンにどれだけいるか?
この二人の二人椀久は、歌舞伎の「おどり」というものは、こうしたものである、という事を私に教えてくれた。
生で何度か見られた事はまさに、私にとってかけがえのない財産である。

南座で観た時は、たまたま幕の閉まったすぐ後、奈落を通って楽屋へ向かう時、天王寺屋が大道具の月の傾き方が悪いと言って「絵心ってもんがあるんだよ!」とダメ出しをしているところに行きかかった。
たしかにその日の月は真っ直ぐ立っておかしかったので、我が意を得たりの思いだった。
数年前から御得意先様として御贔屓にもなり、去年奥方にお電話差し上げた折、たまたま天王寺屋が出られ、名を告げると、「ああ美馬さん、富十郎でございます、いつも美味しい物を送っていただいて有難うございます」と話していただいた事が昨日の事の様に思い出される。

思えば私が高校生時代、巡業で来高していた天王寺屋にホテルの日本料理店でばったり行き合わせた。
出番の早かった天王寺屋はすでに食事に差し掛かっており、かつを茶漬けを注文して、茶漬け茶碗の蓋を閉じてじっくり蒸しにかかっていた。「かつを茶漬けですか」と問う他私に、「好物なんですよこれが」とにこやかにサインをしてくれた。

そしてそれから十数年経ち、文化庁の巡業で、あろう事か人口一万僅かのわが町に、天王寺屋が身替座禅をひっさげてやって来た。 キャパ三百の、田舎の舞台でも、まったく気を抜かない山蔭右京であった。もったいないような、申し訳ないような気分で観劇し、終演後バス移動と聞いたので、カツオのたたきを差し入れた。

最近ご縁が繋がり、あらためて鰹を送って、喜んでもらえたのは私にしては間に合った。
この後は、残された鷹之資君が、立派な役者になってくれる事を、微力ながら祈りつつ、ひたすら舞台を見続けることしか、私には出来ない。
彼は間違いなく、大変な苦労を味わうだろう。

だがしかし、そこが勝負所である。十歳そこそこの子にこんな事を言うのは酷だが、鎬を削り、勝ち上がるしか、道は無い。
まことに、つらい、しんどい道である。
でもそれは、役者にとって、決してマイナスではない。
本人さえその気なら。

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