中喪服の美

今日はお茶の先生のお母様のご葬儀だった。昨日のお通夜から今日にかけて、さすがに茶道関係のご弔問客が多く、一般の葬儀では珍しい中喪服姿の方が何人も見受けられた。
興味深く観察し、やはり中喪服というのはいいものだと感心する。
洋服の人がほとんどになった現代、お通夜でも黒一色になったが、本来お通夜というのは訃報を聞いて取るものも取りあえず駆けつけるのが建前だから、正装して行くのはおかしい。ゆえに着物の場合もお通夜は地味な小紋や縞の着物に黒羽織というのが昔のお決まりだった。
葬儀においても、親戚ならいざ知らず他人の葬儀に五つ紋の黒喪服を着ていくのは疑問である。
五つ紋というのは黒留袖と喪服という、ハレとケの最高格の着物に付けるのだから、本来は他家の儀式に着て行くものではない。

お悔やみには中喪服こそふさわしい。
先代勘三郎丈の告別式の時、杉村春子先生は立涌の地紋に水色の色喪服をお召しになっていた。私はワイドショーで見ていたのだが、ほとんどの方が黒喪服の中、さすがは杉村先生!と膝を打った。
着物の美というと華やかな柄物を思われる方がほとんどだろうが、中々どうして、この哀しみの偲ぶ衣は奥が深い。

第一に色無地に喪の帯を結んだら中喪服に早変わり、というのが何とも賢い知恵で、遣り繰り上手、見立て好きの日本人の面目躍如である。
黒づくめの本喪服と違い、地紋(地紋にも慶弔両方使える物とそうでないものがあり、多少の知識を要する)と地色を選ぶ所にその人のセンス、着物観が出る。逆に勝負どころがそこしかない、という意味では単純でありながら難しい。

中喪服を着て「素敵」と思わせたら相当の達人である。そんな人が一人いた。
同じ社中のMさん。私の母親よりは上の世代だろうが、小柄で色白の、さぞやお若い頃はと思わせる美形である。
地紋無しの素無地に、色はうす鼠、そこへ安手でない黒共帯の光沢がキリッと映えて、中喪の着こなしのお手本のようであった。

中喪服の色は静けさを湛えていなければならない。人の目に立つ派手な色はもちろん、安っぽい色は避けたいもの。

今日はグレー、紫、水色、グリーンといったカラーバリエーションだったが、お一人だけ薄い白茶の方がいた。古式を伝える旧家では白喪服を着るところが今でもあり、先述の中村屋の葬儀では当代勘三郎丈はじめ遺族は白喪服だったが、やはり一般の弔問客としては、あまり白っぽいのは浮いてしまうので避けた方がよかろう。

うろ覚えだが、確か船橋聖一の「悉皆屋康吉」に、京都の名妓の通夜か法事で、妹分のこれも一流の芸妓たちが、銘々にさすがは自分に一番似合う色喪服を着て、秋草の塩瀬なぞを結んだ姿は、素人の到底及ばない、着物美の極致だという様な一節がある。

人が哀しんでいる時にお洒落なんかして、などと言うなかれ。
弔いの中にも美は必要であり、それを解するのが文化というものである。

呉服・着物・和装 高知県高知市 (c) ごふく美馬.