うつり身

昨夜鶴太郎の事を断じたが、私は実は鶴太郎の大ファンであった。むろん、私が中高生の、ひょうきん族の頃である。私にとって鶴太郎は、小森のおばちゃまを演じてこその名人であり、その時分の芸の冴えは、たけし、さんまを凌ぐものであった。だからこそ、今日の「転向」が我慢ならないのである。
なぜ一介の芸人として孤高の道を歩まず、愚にもつかない絵や字など書いて芸術家の真似事をするのか?
惜しみても余りある。
道を誤ったと言えば、たけしほど転向の罪の重い者はいぬ。
反社会的な毒を看板としてデビューし、「だから私は嫌われる」なる本まで出した人間が、映画の仕事は兎も角も、ニュース番組のコメンテーターに成り下がったのには、呆れるというよりもはや、「裸の王様」というより他はない。

嫌われるどころか、全マスコミを味方につけ、誰にも批判されない地位に自分を置いた今日、世俗の事象に当たり障りの無いコメント(もちろん精一杯の「毒らしき物」を織り交ぜながら)を吐く姿は「堕落」以外の何物でもない。
奇しくも今朝新聞で講談社の野間佐和子女史の急逝を知ったが、たけしは仮にも徒党を組んで講談社に暴れ込み暴行障害の罪に問われた前科者である。
あの時はいささか同情もしたが、いま彼が、そのマスコミの中枢に取り込まれ、冷静、賢明な判断とは無縁の魔女狩りがお得意の、時の大衆に媚びつつ実はその大衆を骨抜きにし、思考停止にしている諸悪の根元たるワイドショー的ニュース番組でご意見番よろしく鎮座しているのを見ると、憤慨するよりも何よりも、人間とはかくも「弱い」ものか、と嘆ぜざるを得ない。
今に文化勲章をもらう気じゃないかとマジで心配する。

一度世の「法」に刃向かった者には、それなりの身の処し方があり、意見の通し方もある筈である。

TBSは昔、オウム真理教が坂本弁護士を殺した際、「手を貸す」に等しい重大過失を犯した。そして当時の看板キャスターであった筑紫哲也は、TBSを批判しながら、もっともらしい弁解をして結局番組を下りず、ジャーナリスト(とは私は元から思っていないが)としての最低の矜持を棄てて、億単位のギャラと、毎週月金で自分の高説を垂れ流すという「おいしさ」を選んだ。
その局で、たけしがコメンテーター?ブラックジョーク以外の何物でもない。

しかし考えて見れば、日本人というのは実にあっさりと宗旨を変える民族ではある。ナベツネが元は共産主義シンパなのだから、まあ変節は我が国のお家芸だが、問題はその変節ぶりである。転向の時こそ「自己批判」をきちっとやってもらいたいが、大抵いつの間にか、うまいこと変わっている。
我が着物業界に、暈し(ぼかし)という染めの技術があるが、まさにあれである。

ボカしている間に、自分がボケてしまう。ありそうな事ではある。

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