私のいきつけ7 一休

今日は久々ぶりに梅が辻のお好み焼き「一休」へ。ここは私が土佐中高在校の間、ずーっと通い詰めた青春の思い出のいっぱい詰まった店である。

卒業後も折に触れて訪問するが、かつぎ屋時代と違い、店を持ってからは中々行く機会がない。
それでも、おばちゃんは卒業後二十年以上の間、私が行く度に毎回同じ事をその時店にいる、その時代その時代のお客に私の事を説明する。
いわく「この子とはよう喧嘩してねえ」
別に殴り合いをしたわけではない。
その時代の私は山田五十鈴病真っ盛りであった。初めて山田先生のマンションへ電話したのも一休からなら、劇場やマネージャーに問い合わせをするのも全て一休の黒電話からであった。
私が東京へ電話する度、目のつり上がるおばちゃんを尻目に、今を盛りと傍若無人の私。考えて見れば携帯が普及した今日、電話代で大喧嘩などと言う話はあまり聞かないが、私たちの青春時代は、遠距離だと十何万という電話代を使って親がひせくったなどと言う話はゴロゴロしていた。
私が高四の時の同級生M子などは私の母に「ながいさん」というあだ名を付けられていた。実は自分の息子も「ながいくん」なのだが。

そんなわけで、一休のおばちゃんがある時ブチ切れた、事もあったが私はあまり憶えていない。
それより一度、一休の台所でソース(しかもウスターでなくとんかつ)の一升瓶を倒して床じゅうがドロドロになった事は忘れられない思い出だ。

我々世代には有名な金ババも、この店の常連客であった。
夜九時ともなれば大丸前に出没し、「姫は要らんかね?」という名ぜりふを呟きながら、自身が客をとっていた超高齢の現役夜鷹。
この人が毎週金曜になると、おそらくタケオニシダ製と思われる上質な生地の、ピンク色の洋服に身を包んで、一休近くの美容院に自分自身を磨きに来る。その前に必ず一休に寄る。
我々学生を邪魔っ気そうに一瞥し、定位置に座ろうとして、その椅子が気に入らないと、おもむろに椅子を入れ替え、必ず決まって日本そばを注文する。
食べ終わった後は洗面で楊枝を使い、鏡で自分の姿を確認し(彼女が昭憲皇太后の御製を知っていたかどうか知らぬ)、身仕度を調えた後、皆が注視傾聴する中「おいくらですかね?」と聞くのがハイライトである。
その一連の流れは、まさに一つの「藝」であった。落語で言えば文楽なみの。

これを聞かなきゃ金曜に一休に来た意味がない、というくらいの名物であった。

色々あったが、おばちゃんは健在で来年なんと古稀!
久しぶりに皆を集めて御祝いをしようと思う。


今日もいつも通り「焼きそばぶた大盛」を注文。ソース少なめ塩味勝ちで豚肉は脂身ピーマン多目が高校時代から変わらぬ私のレシピである。
私たちの時代は「(素の)焼きそばにイカぶたトッピングにチーズ入りの大盛り値段そのまま」などと言うとんでもない注文をするSという奴もいた。
おばちゃんは怒りながら、ほぼヤケを聞いていた。
思えばいい時代であった。

店はリニューアルされたが、私が山田五十鈴に電話したあの黒電話は往時のまま、煙もつれ、油まみれになりながら、今もリンリンと鳴り響いてゐる。


向陽の梅 完
(これ分かる人世界にただ一人イケザアメヒコのみ)

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