二十三回忌

ひばりが死んで早や二十二年。気が付けば人生のうち、ひばり不在の方が長くなった。

毎年の如く作られる追悼番組の数々。その中に見るべきものはほとんどない。
無くて当然である。今どきのテレビ局プロデューサーやディレクターはせいぜい四十代であり、ひばり存命中にはまだひばりを知らないのである。

知らなくてもいい。遅れて生まれて来た者として、生涯掛けてその遅れを取り返そうという気概さえあれば、凡百の同時代人などひらりと飛び越えられる。

しかるに彼らはただ、とりあえず固定客のある、基礎票の見込めるブランドとしてのひばりを利用しているに過ぎない。

その音源の選択を見ればその「ひばり愛」の程が知れる。
耳の開いたファンにとっては、ひばりのコンサート中、東京ドームと中野サンプラザ公演は決して納得のいくものではない。

ドームにおける「みだれ髪」の歌唱中、「胸にからんで涙を絞る」の「しぼる」の音階が上下する所で、ひばりはまさかの裏返りをした。

「青天の霹靂」というのはああいう事を言うのであって、良いも悪いもない、ただただ有り得ない事が起こったという意味に於いて、この度の震災よりも有り得なかったのである。

その映像をいつまでも繰り返し流すデリカシーの無さにはつくづく嘆息せざるを得ない。

良い加減にひばりを縮小再生産するのはやめてくれ。

腕の悪い料理人の手に掛かって、折角の食材を安っぽいお取り寄せ通販にされるのは御免蒙る。

話が急にひばりから琳派に飛ぶが、抱一は光琳に惚れ込んで何とかその偉業を世に知らしめんとして、パソコンはおろか電話すら無い江戸時代に全身全霊、知力財力人間力の全てを動員して作品を集め、光琳百回忌を催すと同時に日本美術史上初と言われる回顧展を開いた。

自分が心酔する人、物を顕彰するというのは生半可で出来る事ではなく、実に昔の人の何かを崇敬する事の深さ、真摯さには感動を禁じ得ない。
それに引き換え現代人の何と安直、浮薄な事か。

キーボードを叩いているだけでは、人を感動させる事は出来ないのである。

虎穴に入らずんば虎児を得ず

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