新旧どぜう対決

今日は東京で昼の三時まで予定がなく、久々にゆっくり昼飯が食える滅多にないチャンス。
色々考えたが、夏ではあり、今年初のどぜうにしようと腹を固め、行きつけの高ばし「伊せ喜」にタクシーを飛ばそうと思ったが、時間も早かったので携帯で色々検索。するとネットの口コミに、信じたくない衝撃の情報が。
な、なんと我が「伊せ喜」が閉店するか、すでにしたらしいというのだ。真っ青になって店に電話してみると、留守電のテープになっていて、建て替えの為二年ほど休業するという。
唖然呆然である。

主に夏場の訪問で、毎月の様に行っていた訳ではないので、春頃の閉店は全く知らなかった。
寝耳に水である。
震災以来、古い店舗が次々と建て替えや廃業を余儀なくされている。
つい先日も並木の藪の建て替えを聞いてショックを受けたばかり。
どこもかしこもビルになり、木造一軒家というのは跡形も無く消え失せて終いそうな勢いである。

「伊せ喜」も立地柄、上をマンションにしたビルにでもするのだろう。でなければ二年もかかる訳がない。

歌舞伎座さえテナントビルの一部になる時代だから、やむを得ないか知らぬが、あの風情は惜しみても余りある。

昨年のブログにも外観、店内、料理のいずれも写真を載せておらず、痛恨の極みである。

良くも悪くも大看板であった二人の大きい姉さんにはもうこの世では会えないだろう。

あの江戸情緒も二度と復元はされまい。殊にあの仕舞いがけの雨戸!居ながらにして黙阿弥の世界を味わう事の出来る稀有な店であった。

また一つ、私の愛する場所がこの世から消えた。

しかし追憶ばかりでは生きてゆけぬ。また、早くせねば行き残しの老舗も何時どうなるか分からない。気を取り直して、東京どぜう名店のうち未踏だった吾妻橋「平井」の暖簾を初めてくぐる。


ここに来なければ生涯縁の無い本所吾妻橋駅から歩いて数分、意外にあっさり見つける事が出来た。
外観は予想に反して新しく、高級感に溢れている。
引戸を開けてびっくり。かきいれ時の午後一時だというのに、なんと無客である。ダンディーな髭の大将が一人黙々と仕込みをしている。しかし迎えの言葉は正しく江戸前の「いらっしゃいまし」である。断じて「いらっしゃいませ」ではない。


あまりの静けさに、一瞬不安になったが、メニューを見ると食欲をそそる一品が色々有って期待は高まる。

やがて娘とおぼしき田中裕子似の女性が出て来たが、表情は固く、お愛想笑いなぞ一切しない。能面の様である。やや気後れしながら、あさりのぬたを注文する。


白味噌と思いきや八丁味噌で、これは私には濃すぎた。よほど酒も進んだ後のつまみならよいが、一品目にはやはり白味噌と芥子のさっぱりが欲しい。ただしこれは口との兼ね合いで、こういう物と分かって夜じっくり飲む時の何品目かで食べたら結構な物である。

他にも「みつばわさび」など、そそられる品書きがあったが、ぐっと堪えて本題のどぜうにいく。まずは「丸鍋」を注文。丸とは骨付き丸ごとのこと。


どぜうの数は「伊せ喜」より少ないかも知れない。また「伊せ喜」では「ぬき」にしか入っていない牛蒡が、ここでは「丸」にも入っている。


葱が上等の竹笊に入ってくる。明らかに「伊せ喜」のそれよりしっとりと水気が有り、軟かな事が見ただけで分かる。この時点でかなり高得点、ものごとに対する神経の細やかさを感じさせる。

鍋の縁からふつふつと沸いて来たところをまず薬味なしでいただく。

うまい。確実に、疑いなく「伊せ喜」より臭みがなく、それなのにどぜうの体表のぬるぬるが残っている。ツルッと行きたい加減である。

続けて山椒を振って一口。これがまた上々の山椒でたまらぬ旨さ。
葱をふんだんにはさみながら、お次は七味でまた一口。これまた絶妙。実にピリッとしていて気の抜けた様なヘボ七味ではない。

すっかり気に入った、というか私の口に合った。

続いて最初から気になっていた「めごちの天ぷら」を頼んだが今日は品切れとの事。めごちというやつも中々毎年はタイミング良くありつけぬ代物である。

そうなれば迷う事無く「ぬき鍋」を注文。「ぬき」は骨抜きの開きであり頭も無い。
ここでやっと普通の接客をする下町のお母ちゃんが登場する。

「伊せ喜」のそれが「丸」よりだいぶ大きめのどぜうを使っていたのに対し、こちらでは同じ小ぶりのを出す。前述の通り牛蒡は入っているが豆腐は入って来ない。そして割り下が「丸」と同じ薄味であり、濃い目のすき焼き風の割り下で生卵を添えて出す「伊せ喜」と大きく異なる。

どぜうが小ぶりだから薄味で卵なしが合う。一緒に注文した伏見の冷酒「玉の光」が矢鱈と飲みやすく、水の如く喉を通って行く。


そして今日は初めて食す「どぜうの子」がぬき鍋に付いてきた。

これまた滋養凝縮の珍味。江戸時代、この卵は庶民の貴重な栄養源であった事だろう。

あと少し腹に余裕が有ったので「どぜうの蒲焼き」を注文したが、これも今日は山だと言うので「どぜうのくりから焼き」なる品を注文。くりからというのは倶利伽羅峠と何の関係か、蒲焼きとどう違うか今一つ判然せぬが、要は焼鳥風である。してみれば蒲焼きは大ぶりのどぜうが入ってないときはやらぬのか?


これは雀の焼鳥と同じ事で、一本か二本食えば満足の行く物、一人で六本はちと飽きる。


ここらで昼の看板が近づき、ご飯とたまご汁を注文。どぜう汁とも思ったが、「伊せ喜」で必ず〆はたまご汁だったので、比較の為注文。これだけは「伊せ喜」に軍配が上がる。
というのはこちらは最初のぬた同様、赤味噌の勝った味であり、「伊せ喜」の白がちの方が卵に合い、何よりもここんちのは汁飲みの私には量がやや少ない。

座敷の向こうに居合わせた家族連れが頼んだ柳川が、恐ろしく時間がかかって出て来たのを横目に、こんだけ待たせて出す柳川はどんなものか、是非次回は試さなくてはと思う。

総じて結論。味は完璧ではなかったがその無類の店構えに惚れて通っていた「伊せ喜」に対して、初めて辿り着いたこのうちの方が、間違いなく私の好みである。
どぜう屋に必須の鯉が無いのは痛いが、それは両国「桔梗屋」に食いに行けば良い。

それ以上に季節のオススメが豊富なのが魅力である。

来月は久しく訪問していない「桔梗屋」と、うん十年ぶりとなる「駒形どぜう」を訪問し、改めて「平井」の位置づけをしようと思う。

おそらく、観光客がかまびすしい駒形は私の行きつけにはならぬだろう。また桔梗屋は鯉の洗いを食いたい時に行くであろう。
それ以外の、「どぜう」を食いたい時には、ほぼ間違いなくこの店に通う事になりそうだ。もの言わぬ娘と、何回も通って口をきく、これも一人食べ歩きの極みの愉しみである。



店を出るとスカイツリーがすぐそこに

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