越後の風

先月の二十日、二十一日、取引先の紬問屋さんが主催する研修旅行があり、越後湯沢まで足を運んだ。

折悪しく台風到来で、前日は四国から出られず、初日午前の予定だった福島県昭和村の苧麻(からむし)畑見学には間に合わなかった。

十代から着物雑誌の別冊で日本各地の織物を地図つきで解説したページを穴の開くほど眺めていた私にとって、本州で唯一のからむし生産地である昭和村には特別な思い入れがあり、是非一度訪れたい場所だった。

昭和村へ行かないのならと諦めかけたが、朝目覚めた瞬間、途中からでも参加しようと思い立ち、一路越後へ。

飛行機に乗らない私は自宅から都合九時間かけて到着。今ハマっている山県有朋の評伝のうちの一冊を読みながら来たらあっという間である。

宿で他の参加者の方と合流。さっと汗を流して夕飯。それぞれ自己紹介し、後は個別に部屋飲み。呉服店跡取りの若手二人に問屋の社員さん二人が私の部屋に集まり日本酒をぐびぐび。

翌朝は例の如く寝坊して一人で朝食。味噌汁がしみる。

いよいよ二日目の研修スタート。まずは麻の糸づくりから。苧績(おう)みと言って原麻を爪で裂き、太さが均一になるように組み合わせながら一本づつ繋いでいく。


作業場はまったく普通の家庭の居間である。地道に、根気よく、それでいて流暢に繋いでいくお母さん。これは東北人でなければなかなか出来ぬ仕事。

伝統工芸の織物は、実に「超一流の内職」が下支えしているのである。

高知の人やったら五六本繋いだらお茶を飲み、また五六本繋いだらトイレ行き、となっていつまで経っても出来そうにない。

繋いだ糸を溜めていく「おぼけ」は本来木製品だが、ここのお母さんは使わなくなった炊飯ジャーの釜を代用している。
なるほど引っ掛からなくて良さそうである。


続いて「芝晒し」。また別のお宅を訪問。
寒中、雪の上に上布を置き、日光と雪の水分で不純物を取り除き、白をより白く仕上げる「雪晒し」はもちろん知っていたが、「芝晒し」は初耳である。


これも目的は同じことで、芝の上に布を広げ、ジョロで水を撒く。猛暑の中、水が下へも垂れ、上からは蒸発して行く。夏の晒し方だそうだ。




早目の昼食は蕎麦屋。特大のおにぎりと天ざるのセット。宿酔い気味の上、さっき朝飯を食べたばかりで、さすがの私も苦戦。ことに布海苔がふんだんに入った蕎麦は私には苦手。蕎麦好きとしては旅先で美味いそばに遭遇するのが何よりの楽しみだが、これはちと残念。珍しく残す。

食後は今回の案内役である中島さんの工房へ移動。


別嬪で妙齢のお嬢さんが「いざり機」で上布を織っている。部屋はカーテンを閉め、ほの暗い。驚くほど地味な、殺風景な仕事場である。

西陣の帯の機場でもそうだが、織物をする作業場は直射日光を避け、手元を明らせる蛍光灯のみで仕事をしている。目を酷使し、集中を要する行である。


お父さんは本塩澤の「湯もみ」を披露して下さる。織り上がった反物を薬品を垂らした湯に浸け、長靴を履いてギュッギュギュッギュ踏むとあら不思議、生成りの反物から見る見る濃紺の色が染み出て来る。

余計な不純物や色素を取り除き、同時にふんわりとした風合いを出す作業。二度目から井戸水に代え、何度も繰り返しすすぐ。

人間も布も揉まれなきゃ駄目という事か。

お父さんがポリ容器を傾け、バシャーっと水を流す。皆飛びし去るが、ひとり逃げ遅れた奈良の後君は靴がびしょ濡れ。癒しキャラ全開である。
この間かなりの時間がかかり、じっと見学している我々の暑さもひとしおだが、時折命の親みたいな涼風が工房を吹き抜ける。

自然と一体で仕事をされている中島家の皆さんと、一瞬だが息遣いを同じくする事が出来た様な気がした。


すっかり濯ぎ終えると二階でシンシに張り、乾いたら最終整理して製品になる。

各パートの熟練の技の集積と一家団結の上に、着物通を唸らせる越後上布や本塩澤が出来上がる。

何としてもこうした営みを残さなくてはならないと痛感して中島さんを辞去。

お土産にどうですか?と連れて行かれた酒屋で「八海山」の夏限定酒だの「鶴齢」だの「雪男」だの新潟ワインだの梅酒だの、例の如く「買い魔」が起こって大変な散財。この人をこんなとこへ連れて来てどうする!

予定を大幅にオーバーして湯沢の駅へ到着。間が悪く東京行きが出たばっかりで次の便まで三十分弱有ったので、構内の名店街をぶらぶら。
そこで「へぎそば」の店を発見。飛び込んで速攻でかっ込む。
キリキリに冷えていて美味い。さらに辛味大根が最高。昼のリベンジが出来たと安堵。


どこまでも執念深い食い意地である。

呉服・着物・和装 高知県高知市 (c) ごふく美馬.