偏愛的女優論 第二章


「毛利菊枝」。その名を聞いてどれだけの人がその顔を思い浮かべるだろう。

私の女優ベスト10の中でも、「西の毛利に東の原(泉)」と言って、老女役の両横綱である。

溝口健二監督「西鶴一代女」と「雨月物語」、この二本だけをもってしても毛利菊枝は日本映画史にその名をとどめる。

謂わば名脇役の殿堂に入る筆頭の人である。

毛利菊枝には「烈」という文字が良く似合う。

後年の「信子とおばあちゃん」などは例外で、上記二作の溝口組以外にも、木下組「女の園」、市川組「ぼんち」、実相寺組「哥」など、およそ平々凡々とした家庭の婦人を演じた例は少ない。

その意味では岸田今日子の先達と言える。それもその筈、毛利は今日子の父、岸田國士の弟子であり、彼女が長く関西で率いた劇団「くるみ座」は國士の命名による。

岸田今日子と毛利菊枝の最大の違いは、その演技遍歴がおよそ他人に厳しい人間ばかり演じた生涯であったという所にある。

平たく言えば「怖いお婆さん」が専門であり、並の人間はこういう女優にファン心理など持たない。が、私は小学生の時、毎週怖々見ていた横溝正史シリーズの「八つ墓村」ですでに毛利ファンになっていた。

横溝作品の中でも「犬神家」と並ぶ人気を誇るこの作の登場人物の中でも、際立って印象強く、最も横溝正史らしいのが双子の老婆「小竹小梅」である。

十指に余る映像化作品で色んな女優が小竹小梅を演じている(市川崑晩年の作では岸田今日子が合成で二役)が、何と言っても毛利菊枝に極まる。他とは全然別物と言っていい。

地方の旧家で大地主の家を仕切っているという貫禄、幕末から明治初年に生まれた筈の設定に見合う古怪な顔立ち。まさに「刃自」である。

毛利はこの役を私が見た昭和53のテレビ(古谷一行)版の遥か前、昭和26年に片岡千恵蔵の金田一による初の映画化作品に同じ小竹役で出演している。(なんと毛利は当時まだ四十代)二度とも小梅ではなく、小竹であるのが毛利の毛利たるところ。

同じ双子の老婆役であり、その役に軽重は無いと思ったら大間違い。小梅は洞窟の中で殺され、無惨な水死体で発見される。そんな役は毛利は受けない。

対する小竹は、物語の最後に多治見家の屋敷もろとも炎上して果てる。
つまり、八つ墓村のおどろおどろしさの象徴として、小竹が亡んで初めて大団円を迎える事が出来るという、大敵(おおがたき)なのである。こんな役は毛利以外にはしこなせない。

この人の演技の真髄は新劇に裏打ちされた緻密な台詞術であり、計算され尽くした安定感と、そこに醸し出される魁偉な迫力であった。

ある作品で助監督がその日撮影のシーンのプラン変更を恐る恐る告げると、「そんな事を今になって急に言われても出来るものではありません!」と烈火のごとく怒り、助監督は震え上がったという逸話がある。

たとえ相手が大監督であろうが巨匠であろうが、自分の演技に対する緊張感を壊される事には我慢がならなかったのだろう。

もとより地位も名誉も金も要らぬという、男で言うなら山岡鐵舟の様な人間だから、始末におえぬ。

演技の上でも、なまじっかな者が立ち合っても一刀両断のもとに斬り棄てられる、容赦の無い剣豪の如き「芝居の鬼」であった。

「西鶴」を見よ。相手が田中絹代であっても、否田中絹代だからこそ、叩きのめしてやる!と言わんばかりの必殺剣を振り下ろす。
それでこそ初めて迫力のあるシャシンが出来るのである。

高校一年の晩秋、私は毛利を京都の真如堂前町へ訪ねた。
それより前、手紙での遣り取りがあり、初めて拝媚を得る私を刃自はあたたかく迎えてくれた。

路地の奥の毛利邸は、閑静な佇まいではあったが、高齢の刃自がやはり高齢の妹さんを介護している様子で、まさにATG映画に出て来る様な寂莫とした雰囲気の、まるで水の底に沈んでいる様な家だった。

書棚には当時出たての野上弥生子全集が並んでおり、野上の未完の遺作「森」(毛利菊枝の本名は森キク!)の中の明治の女学生に毛利の若き日が重なった。
松岡正剛いわく静謐、苛烈であった野上の人柄と文学を、毛利が好んだのは実にそれらしい。寸鉄人を刺す辛辣な評をし、世におもねらない点において、二人は似た者同士であった。

私が、今夜は山田五十鈴さんの舞台「香華」を観に行きますと告げると刃自は「山田さん。あの方だけは女優の中でも別誂えです」と言った。言い切った。

そして、私が今夜の宿は小さい旅館を予約していたが、先ほど電話をかけ、芝居を観てから行くので九時を回ると告げると「そんな遅いのお断り」と、ニベもなくガチャンと切られた、といきさつを話すと、刃自は目を丸くして憤り、「そんなのは京都の恥です」と宣い、「今晩はうちへお泊まりなさい」と言ってくれた。

芝居がハネた後、毛利邸に帰り、仏間に敷いてあった布団にくるまった。

仏壇の横には、私が高知からうんしょうんしょ担いで来た土産の次郎柿とあまり違わぬ柿が山盛りに積んであった。

もっと違う物を持って来れば良かった、などと悔やみつつ眠りについたが、今思えば、すでに現役を退いて世間から忘れられつつある八十過ぎの老女優とその妹が隠棲する門前の閑居に、田舎から出て来た高校生が一夜の宿を請うなどというのは、かなり怪奇じみた話である。

しかし、二十五年の時を経て思うのは、私に当時もっと知恵があれば、溝口のこと、崑先生のこと、あれやこれやと聞く事が出来たのに、宝の山を前にしてその掘り様を知らざりしとは、かえすがえすも情けない話である。

主役を脅かすほどの芝居をしながら、全体の調和は乱さず、かえって作品に生を与えるバイプレイヤーこそ真の名脇役と言う。

その代表格が毛利菊枝であった。

時代が合わず、この人の舞台を一度も観られなかったのが心残りだ。ブレヒトの「肝っ玉おっ母と子供たち」やイプセンの「ゆうれい」は是非観てみたかった。
最後は野上原作の「藤戸」だったと記憶する。

実際には無かったが、毛利と滝沢修がもし舞台で火花を散らしていたら。あの重低音のぶつかり合いはさぞ凄かっただろう。

想像するだけで、全身が総毛立って来るのはいかんともし難いのである。

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