男の花道

暴行事件から七年。

いきさつなど、どうでも良い。

ましてや、芸能界の建前と本音など百も承知で、敢えて言う。

紳助のこの度の引退は甚だ身勝手であり、この正念場で踏ん張らないのが、所詮芸人でなく、商売人なのである。

食うに困る事はなく、二度目の不祥事であちこちに本意無い頭を下げるのがいやになったのだろう。
つまりは自棄である。

この欄の読者ならもうお分かりだと思うが、私は芸人と暴力団の関係を兔や角言うことは野暮だと思っている。

しかし、こうなったらこうなったで、男の引き際と言うものがあろう。

男勝りの女、ひばりは言った。
「私たちはカスミを食べてでも生きて行きます」

あれこそ芸人魂であり、金でなく、芸に命を懸けた者の凄まじい姿である。

紳助は自分で自分を頂点を極めた者の様に喋っていたが、とんでもない思い上がりである。

金はよほど稼いだか知らぬが、芸人としては冴えだけ有って深みは無く、関西の名人たち、いとこい、ダイラケ、蝶々、かしましらと比しても、あまりにも心に響くものがない。

しかも、自分が山のてっぺんに一度は登ったと言ったが、それは視聴率その他の「数字」の事だろう。

しかし、その数字の正体こそは彼を今日引退へ追い込む「現代の常識」であり、「社会的責任を取る」という時の「社会」そのものである。

分かる人には分かる様に、現代人の欺瞞に一矢報いる様な気概は示しはしたが、如何せん、喋り過ぎである。

河童の川流れ。

大きな事はどうでも良い、私は鑑定団が見られなくなるのだけが残念である。

下から上がって来た男独特の、上昇志向とコンプレックスの塊の様なキャラは惜しみても余りある、とまでは言わぬがやはり、少しは惜しいのである。

コケる男に共通しているもの。それは「自惚れ」である。

自信はあって良い。しかし、身の程知らずの自信過剰は身を誤るのである。

名遂げて慎むは難き。

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