偏愛的女優論 第三章


加藤治子というひと。

「女の色気」の様々なるかたちの中で、この人の醸し出す独特の味は余人をもって代えがたい。

狂気を孕んだ怪しさ、殊に庶民の女の中にある怖さを表しては、この人の右に出る者はいない。

向田邦子と久世光彦が、この人をどれだけ頼り、別格扱いしていたか。それだけで十分過ぎる。

割烹着の似合う「日本のお母さん」役者の一人でありながら、同じ看板を持つ森光子、京塚昌子、山岡久乃らとは明らかに一線を画す。

無論、京塚は別として、森や山岡は「女の中の悪魔」という物を表現出来なかった訳ではなく、事実そういう役もこなしている(前にも書いたが五十鈴十種の内、川端康成原作の「千羽鶴」における森の栗本ちか子は好劇家の間では伝説の名演であり、この役は実にクセのある、女の中の女とでも言うべき役である)が、結局は自分の生きる道を橋田壽賀子的世界へ近付けてしまった。

森の代表作「放浪記」には、決定的な欠陥がある。それは主人公に色気がない事である。

杉村の「女の一生」しかり、山田の「たぬき」しかり、女主人公の芝居に「色気」は不可欠である。

話は相変わらず逸れてしまったが、テレビを土俵にする女優にとって、大衆受けするキャラクターと、見巧者を唸らせる演技者としての仕事を両立する事は至難である。

しかし加藤治子はその両方を手中に納め、役柄そのままに女の二面性を見せた。

北条秀司いわく「昼は聖女、夜は淫婦」。それを演じ分けられてこそ女優だと。

まさしくその意味において加藤治子は我が国映画演劇テレビ界の中でも希有な女優である。

私はかねて「加藤治子の魅力は鼻の穴にある」と主張し続けて来た。公私ともに親しかった岸田今日子さんにその事を言ったらゲラゲラ笑って「かもね」(これ分かる人、本欄読者の内一割か?)という顔をしていたが。

今日子さんは私を人に紹介する時、「私の友人の美馬くん」と前置きしてから必ず「彼はとっても変わった人で、どんな風に変わってるかと言うと、皇后陛下と言えば良子(香淳皇后)さんであって、美智子さんはダメなんだって」と言うのが お決まりであった。

今では私も美智子皇后に敬意を持っているが、当時あまりにも美智子さま贔屓で良子皇后に対していじめの張本(張本人の脱字ではありません念の為、賊徒の張本、日本駄右衛門参照)の様に言われるので、私は高校時代から日本中を敵に回しても良子派に立って弁護していたのである。

良宮が悪女であったなら、昭和天皇の偉大なる業績はありえようはずもなく、美智子妃との軋轢も、それまで平民と付き合った事が無いのだから当然の事である。

民間人同士の美智子皇后と雅子妃でさえギクシャクしているのに、なんで良子皇后と美智子妃が仲良しこよしでやって行けるか!

「つもっても見てもらいてえ」というのは、こういう時に使う言葉である。

話は逸れた様だが、香淳皇后の追悼番組のナレーションは今日子さんがやり、昭和天皇の時は治子さんがやった。

すべてつながっているのである。

加藤治子の代表作を一つ、と言われれば、それは迷いなく向田邦子作「阿修羅のごとく」の長女綱子に尽きるだろう。

燃え尽きる前の「女」。

未亡人、などと言う言葉が半死語となった現代では考えられぬが、ああした女の生態を描いた事はおそらく日本では初めての事であり、向田と加藤が永年に亘って紡ぎ出した宝石の様な仕事の中でも、その作品の素晴らしさとともに、永遠不滅の傑作と言える。

手料理ではなく、出前を取って男と逢瀬を重ねる年増女。

欲張りであり、正直である。

向田邦子という作家を、演劇界では森繁久彌、文学界では山口瞳という両御大、世の中の、酸いも甘いも噛み分けた御隠居二人が絶賛してやまなかったのは、ひとえに向田が「それまで誰も描かなかったことを、オリジナリティ溢れる筆致で描いた」事に対する驚嘆であり敬意であり、負けた、やられた、参りました、というまことに率直真摯な敗北感のなせるわざなのである。

その向田の、自分の作品に無くてはならぬ役者。

その四番バッターが加藤治子であった。

「白い割烹着の似合うお母さんの心の中にある魔性」

つまり子供が一番見たくないお母さん。

そんな物を上品と下品のあわいの薄皮一枚の所で演じられる女優は、私の知る限り、加藤治子を於て他に無い。

テレビドラマという、一般大衆向けのチャンネルを使いながら、その大衆に対してかなりキツい自画像を突き付け、鮮やかに去っていった向田邦子。

その没後も、久世光彦によって、加藤は向田世界の祭祀者となった。

最後に、これだけは書いておかなくてはならないエピソードがある。

数年前、NHKで名作ドラマを振り返る特番があり、加藤は「阿修羅のごとく」のコーナーにゲストてして出演した。

その時、司会の宮本アナがさんざん向田作品について問い、最後のまとめに入った時「女優としてこれだけは守ってらっしゃる、という様な事はありますか?」と尋ねると、加藤は困惑した顔で「いえ、特にそんな」と口を濁したが、なおも宮本は食い下がり「例えば人の悪口は絶対に言わないとか」という、陳腐極まりない問いかけをした。

宮本アホか!と私は思ったが、その時の加藤の切り返しを聞いて私は膝を打って喜び、治子さん最高!と叫んだ。

加藤治子は全国放送の電波に乗せて言い切った。しかも満面の笑みを浮かべて。

「とんでもない。悪口なんて大好き!」

女の意地悪な所を男には書けない角度で見事に描写した向田邦子、その作品世界についてさんざん聞いた後、その向田の描いた「おんな」を具現化した無二の女優に対して「他人の悪口なんか言わないでしょ?」だと。

宮本ホンマにアホ!と思った。ちなみにこの番組では「夢千代日記」のコーナーもあり、そこでも宮本は地雷を踏んだ。

脚本家早坂暁が主演の吉永小百合について「とにかく小百合さんて人は非日常の世界に置くと俄然魅力を発揮するんですよ」と言った時、長年の夢千代ファンでもある私はすぐにその意味を解したが、宮本アナは又しても的外れな返答をした。

「非日常?ああ、それで芸者屋ですか」

私はズッコケながら「バカ宮本!被曝者のことを言いゆうに決まっちゅうろが!」と画面に向かって怒鳴った。

早坂御大も困った様子で仕方なく「いや、その、被曝者という…」 と言うと、やっと分かった様子であったが、阿修羅にしても夢千代にしても、この男、自社の名作ドラマをホンマに見とるんかいな?と思わざるを得ない迷司会であった。

良妻賢母の役なんてやりたくもない、とは杉村春子の言葉だが、加藤こそ、全き悪女ではなく、善女の中にある悪意、またはエゴという物を見せたら天下一品の人であり、そこに年増の残り香が銀粉の如くまぶされる時、この人の女優としての唯一性は、絶対無敵の高みに登って他を圧倒するのである。

秋深し
女の鼻の
闇の奥

      海児

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