忙中河東あり

長らくのご無沙汰である。
普段感想も何もメールして来ないが毎日しっかりチェックしているらしいサイレントマジョリティから「いい加減更新しろ!」と催促が。

お察しの通り二週間後に控えた周年イベントの為、毎日息をつく暇もない忙しさ故の怠り。

そんな中、先週から名古屋御園座の顔見世歌舞伎公演に助六の河東節連中として出演。今日が千龝楽である。


河東節というのは私が稽古している浄瑠璃で、江戸時代から市川宗家が助六を演じる際には河東節が演奏を勤める決まりである。

助六が花道から登場する時の演技を「出端(では)」といい、踊りの様で踊りでなく、歌詞に合わせた振りとポーズをいくつも見せて本舞台にかかる独特の演出である。言わばポージングの連写みたいな。

助六は七代目團十郎が市川宗家の当たり役を選んで制定した「歌舞伎十八番」の一つであり、市川宗家以外の役者が演じる際には本名題(劇のタイトル)も変え、伴奏も長唄や清元が用いられる。つまり河東節は市川宗家の専売特許となっている。

それは江戸の昔から両者には特別な関係があり、河東節をたしなむのは昔から豪商や妓楼の主人、はたまた魚河岸の連中が多く、こうした贔屓筋の旦那衆が姿を隠して舞台の御簾の中で語るという慣わしが今に続いているのである。

現在の旦那衆は経営者、医師、弁護士、会計士などのお歴々である。
私の様に常から稽古をし名を許されている者を本名取といい、助六の公演の度にその期間中だけの臨時の名を許される者を助六名取という。


毎日十五人ほどが交代で出演するが、その日のリーダーとして上座に座って唄う人を「タテ」といい、タテの人は楽屋中に弁当を配るのが仕来たりである。

また、各出演者も互いに記念の品々を配る。菓子や佃煮、手拭いや小物など、毎回みな頭を悩ませて選ぶ。
これを伝統芸能の世界では「蒔き物」と言う。「配り物」と言うより、どこか景気の良い響きである。


團十郎丈からは勘亭流で各人の名前を焼き印した携帯ストラップ。これは中々洒落た蒔き物である。


助六役の團十郎丈が浴衣に羽織姿で毎日楽屋まで挨拶に来られ、出の直前にも助六の扮装で舞台裏の私どもに一礼されてから花道へ向かわれる。

そして幕が開くと吉原仲之町の桜の花盛り。三浦屋の格子の中が我々河東節の山台である。

口上役の海老蔵丈が「河東節御連中様、どうぞお始め下さりましょう」と深々と御辞儀をすると「ハオーッ」という三味線の力強い掛け声で演奏が始まる。

ヒロインの傾城(城を傾けるほどの遊女)揚巻の出も普段客席からは見られない角度から見られ、黒子の仕事ぶりなども裏側から垣間見る事が出来る。
そして自分の語る浄瑠璃にのせて、助六が花道を登場するところが我々河東節連中の一番のクライマックスである。
役者は三日やったらやめやれないというが、旦那衆も一度河東節で助六に出たら病み付きになるのである。

今日は千龝楽とて打ち上げパーティーが劇場の地下食堂であり、海老蔵丈、三津五郎丈がまずスーツ姿で挨拶、だいぶお酒も進んだ辺りでたった今舞台を終えたばかりの團十郎丈、左團次丈、福助丈がそれぞれ助六、意休、揚巻の衣裳のまま駆け付けて一気に会場が華やぐ。

やがて中締め、次回はいつになるか分からぬ再会を期して、銘々に西へ東へ別れて行ったのだった。

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