ちょっとええ話 第1話

タイトルは言うまでもなく戸板康二の名随筆「ちょっといい話」を訛らせたのである。
あんまり悪口雑言ばかり吐いているので、たまには人をほめたり、感動したり、ホロッとさせる話をしなければ、という心であり、随時書いて行きたい。
その第一話。

去年の暮れ、ひねくれ者の私を感激させる小さな出来事があった。

十五周年パーティーの終わった数日後、お客様でもあり中学の恩師であったM先生が、相談があると言って訪ねて来られた。
思えばN先生とは中一で出逢った時から三十年近い付き合いになるが、私が入学した頃、まだ先生に成りたてのうら若き乙女で、どこか女学生の雰囲気が残っていた。風変わりだった私に目をかけてくれ、怖い先生ばかりの中で若い女の先生は掃き溜めの鶴の様でもあり、私はなついていた。
その先生が、数年前、「そろそろ嫁入りの時に作った着物が派手になって来て」と言って着物を見に来てくれた時は嬉しかった。ずっと案内状を出し続けて七、八年も経っていただろうか。
やはり出し続ける事に意味が有る。

お客様となってからの付き合いの中で、先生が話してくれた傑作のエピソードがあった。私は中学生の頃、茶道部に入部していたが一つも真面目に稽古はせず、文化祭の時だけさも日頃から稽古している様な顔をしてお運びしたりしていたが、ある日茶道部の顧問でもあったN先生に「はい、これやお」と言って校庭で拾った木の枝を自ら削って作った茶杓をプレゼントしたというのである。
まことに珍なる中学生ではある。

その先生があらたまって相談があると言う。何事かと思った。

先生いわく、先日のパーティーは素晴らしかった、芸妓さんたちの美しさに惚れ惚れし、美馬くんのお陰で別世界を見せてもらった。ついては来月京都で息子とその友達と合うのだが、ああいう舞妓さんをお座敷へ呼ぶとしたら費用は一体どのくらいかかるもの?とのご相談であった。

御子息は一浪して昨春みごと早稲田に合格した、先生にとっては金の卵である。

私もピンと来て、「そりゃあえい。あの時来ちょった中に高知出身の舞妓ちゃんがおったでしょ?あの子を呼んじゃって。坊っちゃんも自分と同じくらいの年の子が高知から京都の厳しい世界へ入って働きゆうがを見るがは絶対為になるで!」と私が言うと「そうながよ。私もあの市桃ちゃんに会わしちゃりたいと思うて。絶対勉強するモチベーション上がるし、あんたらあも早う一人前になって、こういう所へ遊びに来れる様な男になれえ、というハッパにもなるろ?」とおっしゃる。

これがまことの土佐の女、精神的「はちきん」である。自分の息子だけでなく、その友人まで連れて一人数万円かかる遊びを体験させてやろうと言うのだ。
情けない話だが、いま時の男でN先生の様な懐、了見を持った人間はそうそうあるまい。
男勝りの発想であり、教育法である。流石は我が土佐高に三十年勤続する教育者、あっぱれ!と嬉しくまた愉快であった。

こういう先生のいる校風だから私の様な変わり種が、脱線しきらず落ちこぼれきらずに、どうにかこうにか卒業し、いまだに愛校精神を持ち続けているのである。

年末もいよいよ押しつまった日、先生が京都から帰って早速店に寄って下さった。
おかげで凄く楽しかったし、息子たちにもいい経験をさせる事が出来た。それに「こんなんでいいの?」というくらい安くしてくれて(別に安くしている訳ではないが、そこはむーちゃんが私の顔を立てて踊りやら座敷やらお土産まで数々無料オプションをつけてサービスしてくれているから割安感は当然である)、とお礼を言われ、私も世話をした甲斐があった。

人に何か誰か何処かを紹介し、紹介された方は存分にその義を返し、紹介した人に喜ばれ、嬉しい輪が広がって行く。
これが生きて行く事の醍醐味であり、ほとんどその為に生きていると言っても過言ではない。

人は独りであって独りでない。
「縁」こそは、この憂き世を生きる糧なのである。

呉服・着物・和装 高知県高知市 (c) ごふく美馬.