七草

私は子供の頃から七草粥が大好物で、毎年これを食べないと気が済まない。

もちろん七草は白菜やほうれん草を混ぜた「なんちゃって七草」ではなく、芹(せり)薺(なずな)御形(ごぎょう)繁縷(はこべら)菘(すずな)蘿蔔(すずしろ)、仏の座、の揃った本物を調達する。

河東節の古い曲に「松の内」という正月の風習を盛り込んだ名作があるが、その詞章には「ごぎょう、たびらこ、ほとけのざ、すずな、すずしろ、せり、なずな、君がためとて若菜摘む、千種の色こそ久しけれ」とあり、繁縷が無い代わりに田平子(たびらこ)が入っているが、これは仏の座の別名だから、何故かダブっている。

思えば昭和天皇崩御の日、私は高校生であったが、母が風邪で寝込んでおり、病人食にもちょうど良いので私が台所に立って七草粥を炊いた。

あの独特の風味はまことに得難く、また年にたった一日しか食べない料理というところがこの上なく有り難い。

「伝統行事として食べるが美味しいもんじゃない」などと言う人がいるが、それは作り方が下手か、よほど米が悪いのである。

我が仁井田米は粥に炊いても抜群である。


前夜洗っておいた七草を細かく切り(古来の風習では前夜に囃子唄を唄いながらたたく)、たっぷりの水で米からじっくり炊く。


くれぐれも七草は炊き上がる直前である。余熱で十分火は通る。早く入れ過ぎるとしゃきしゃき感も香気も無くなってしまう。塩は心持ち強めの方が、青臭さを旨味に変えてくれる。


おねばが熱々のうちに迅速に口へ運べば、爽快な薫りを散じて胃のみならず脳までもリフレッシュされる。

一日だけではもったいないので私は七草を多目に買い、二三日は食べる。もちろんその都度炊く。

辰巳芳子流に言えば、食材は人間の思う様にはなってくれず、人間が食材に合わすしか仕方ない。だから料理をするという事は「我」を捨てて行く事だ、というのはまことに筋の通った論である。

家庭でも少しでも早くから料理を手伝わす方がよろしい。
親が寝込んだ時、粥の一つも炊けないようでは用事にならぬ。

子供の頃から火を扱い、火加減を調節する事を覚える事は、物事を見極めるという点において万事に通じ、基礎教育として非常に有用である。

子供の誤用防止にライターに小細工をするなんて発想は愚の骨頂であり、逆に火傷をして覚えさせなければならないのである。
子供でなくとも、「この階段は滑りやすいよ」といくら教えても、足を滑らせて落ちるまで身に沁みないのが人間というものである。


今日は一緒に先日の自然薯を味噌汁でいただく。美味い。

今年は辰巳先生推奨の百合根粥、さつまいものお粥等の各種粥をどんどん試して行こうと思う。
考えてみれば食材の数だけ粥の種類もあり得る訳で、粥という物の可能性は無限である。

いずれ傑作のオリジナル粥をものして発表したい。


七草や
身にしみじみと
庭の温

呉服・着物・和装 高知県高知市 (c) ごふく美馬.