浅草のふく

三夜連続の新年会を終え、今年初めての展示会並びに初芝居めぐりの為、新幹線で移動。正午過ぎの乗車とて、昼飯は車中となる。


京都から乗る時、最近気に入っているのがこの志津屋のオムレツサンド。玉子とキュウリだけの組合せがシンプルで、かえって心乱される事無く腹へ入り、まことに結構である。

東京駅から浅草へ。平成中村座の夜の部を観る。中村屋の調子はまだまだ完全に復活とは見えぬが、私はそこに新境地を期待している。大車輪でない、内面の深化を。

対面は全体を通してピーンと張りつめた空気に乏しく、おめでたさに欠ける。

七之助のお染の七役が大健闘。段々引出しを増やしている事が手に取る様に分かる成長ぶりである。
ことにあの若さで叔父橋之助を相手に至難の悪婆を可愛らしさを失わずに演じたのは大したもの。先年の牡丹燈籠の経験が活きている。この人は間違いなく世話物の人である。
小僧のいてう、番頭の橋吾が抜擢に応え、神妙かつ好演。
梅枝、萬太郎兄弟の猿回しが若々しく嫌味の無い芸で最後に花を添える。




終演後は萬屋兄弟を伴い、先月からチェックしておいた「酔い虎」へ。
年に一度、公会堂の初春歌舞伎しか来なかった浅草に、中村座の関係で度々訪れる様になり、少しは夜の行きつけを、と思って捜索しておいた店。
これが大当りであった。
まず予約の電話対応が良い。初老の男性だったが、おもねらず、さりとて偉ぶらず、至極真っ当な物言いで好感が持てる。


黒板の品書きを見ると、焼鳥やら寄せ鍋やら、ふぐの他にも食べたい物がズラリと並んでおり、生け簀では車海老が活き良く跳ね、冷陳には美味そうな牛肉の塊まであるが、今宵は白子付きのふぐコースを予約済み。


まずはお通しから。胡麻をふった絹かつぎ、あん肝、ふぐの煮こごりの三種盛り。この「煮こごり」が上々。琥珀色に輝くゼラチン質が堪らぬ口どけである。解けた後も、口の中を「もう無いか?」と探す勢いでチューチューしたくなる後引き感である。


続いて早速「てっさ」となる。かなりモチモチ系の身質である。ぽん酢は私の好みから言えばやや甘め。汗の吹き出るくらいの酸味が欲しいがここはこの味。店に入っては店に従え。


ひれ酒はかなり芳ばしい系であり、「いつ島」の上品さには及ばぬものの、これはこれで浅草風か。


次いで「白子焼き」。少々塩が薄いが十分に美味い物である。この、白子焼きというもののしみじみとした美味さ、というか食味、中味の濃厚さ、それも実に「あっさり」とした濃厚さもさる事ながら、やはりこれの値打ちは「膜」である。焦げ目をつけた「膜」。これこそ他の魚類で代わる物がない、フグのフグたる由縁である。「すべて碁は」ならぬ「つまりフグは」膜に尽きるのである。


いよいよ「てっちり」となり、私はアク取りに忙しい。何故かあらゆる鍋をやっても、結局は豆腐が一番美味い。これは食い道楽の異口同音に言う所であり、つまりは具のエキスを豆腐に吸わせて食うのである。


直前にコースの他に頼んでおいた「はまぐり焼」が来る。これが滅法美味い。蛤のヌルヌルと醤油の絡み具合が絶妙である。
日本て、何でこんなに美味しい物があるんだろう?と思う。


そして「唐揚げ」の後、テーブルにドンと置かれた飯と卵を使っての雑炊。ここは自炊である。掻き玉なら任いちょき!である。

総じてこの店は私に合った。雰囲気、味、値段、全て程が良いのである。

浅草観劇の帰り道、独酌も良し、また気軽な接待にも良し、実に頃合いの店であり、使える「うち」である。
来月は勘九郎襲名が演舞場で行われ、中村座は休みなので次回は三月となる。今から再訪が待ち遠しい事である。

河豚食うや
いのちは二(つぎ)の
ものなるか

河豚食うや
女の肩に
光るもの

浅草や
寺に詣らで
ふくを食い

呉服・着物・和装 高知県高知市 (c) ごふく美馬.