私のかかりつけ 一ノ院

私は元来、病院というものが好きである。
あの薬臭い匂いが、そもそも嫌いでなく、行くと妙に安心するから不思議である。

これは私が幼い頃、近所のT病院に始終遊びに行っていた事による。そこは病弱であった母が小さい頃からのかかりつけで、院長の虎千代先生は北里柴三郎博士の門下で地元の名士であった。
私は初め母に連れられ、やがては一人で勝手に入り浸る様になった。Kさんと言う棲み込みの婦長が、私の曽祖父を知っているほどの古株で、とりわけ私を可愛がってくれた。

今で言うところのナースセンターで、万年筆書きのカルテを捌く様子や、分銅と秤で薬を量り、信じられない早業で薬包紙を折り畳んで重ねて行く様は子供心にも面白く、興味深々であった。
特に茶色や磨り硝子の薬壺の並ぶ棚の一角に「劇薬」と言う文字が書かれた鍵付きの小扉が二ヶ所有ったのを、今でも鮮明に覚えている。横溝正史風に言えばストリキニーネに違いない。

この病院は古い木造で、中庭の池には鯉が泳ぎ、その奥にはその頃すでに使っていなかった手術室があった。一度だけ中を見せてもらった事があるが、これが白いタイル張りの、実にレトロ調全開、まさに鏡花えがく「外科室」で、子供ながら空怖ろしかった 。

こんな原体験があるから、病院には愛着とともに悪夢的郷愁がある。

今はT病院も建て替えられ、薬棚も、手術室も、跡形も無く消えた。世間一般にも、あの様な風情の病院は絶滅した。

しかし私は今でも病院に行くと、あの「臭い」が子供の頃の記憶を呼び醒まし、何故か心落ち着くのである。

そして気に入った病院、波長の合う先生に出会うと、妙に嬉しくなり、「お馴染み」になるのが待ち遠しく、その科目の病気が出ないと物足らぬような気がして来るから始末に終えない。

世の中には具合が悪くても中々病院に行かぬ人がいるが、私は「待ってました!」とばかり飛んで行く。医療費が高いから、風邪を引いてもオレンジジュースを飲んで治す、と言うアメリカの様な国では生きられない人間である。

風邪を引いたら即、点滴である。私は点滴が大好きで、針を刺されて五分もするとウトウトして来るのだから、よくよく相性が良いのだろう。風邪ぐらいで何日も休んでいられない小商人には、絶対不可欠の医療である。

こう書くと西洋医学信奉だと思われるかも知れないが、どっこい東洋医学も大の贔屓。

私と東洋医学の出会いは中学一年の時だった。虚弱だった上に賑やかな実家を離れて下宿したせいでホームシックに罹った私は扁桃腺を腫らして高熱を出した。
しかし私は保育園の時、サルファ剤のアレルギーで鼻も口も爛れ、手の皮が一枚になって剥がれるという副作用に見舞われ、前述の虎千代先生から「この子は大きくなるまで一切の薬禁止」と引導を渡された異常体質である。
しかし、今までに無い高熱の上、唾を飲むのも苦しいほどの喉の痛みで、物を食べる事も出来ない。弱り果てたところへ下宿のおばちゃんが「鍼をやってみたら?」と言う。聞けばこの家の子供達は、風邪や蓄膿など、様々な症状を鍼で直して来たと言うではないか。縋る思いでY家のかかりつけ、田渕(現桜井町)の「氏原はり療院」を訪れた。

「痩躯鶴の如き」氏原先生は、はり医者と言うよりカトリックの司祭の様な風貌で、病める者の不安な心を自然に和らげてくれる。症状を告げると、先生はおもむろに私の手を取り、親指の内側に鍼を打った。初めての鍼で身体が強張ったが、痛みは無く「チッチッチ」と鍼を弾く音がする。他の先生でこういう音は聞いた事が無い。今は用いられなくなった古鍼術であろうか?

ものの数秒。「はい、唾飲んでみて」

恐る恐る唾を飲み込む。すると、何たる不思議。先ほどまでの痛みは何処へやら、嘘の様に消え失せているではないか。

「神技」と言うものがある事を、私はこの時悟った。

病院へ行って抗生物質や消毒薬を処方しても最低数日は治らない痛みが、ものの数秒である。
実に驚く他は無く、以後二十年以上に亘って氏原先生は私の主治医となった。
この話を東京のさる鍼灸院の若い先生に話すと「ふーん。まさしく私の目指す境地です」と唸った。言わば数値化出来ない職人芸であり「匙加減」ならぬ「鍼加減」の世界である。
こういう先生に最初に当たったのだから、鍼好きになるのも無理はない。

もっとも一回目に、扁桃腺の根を断ってやろうと先生がお灸を据えたが、これは流石に我慢出来ず、飛び上がって逃げた。にもかかわらず、次に扁桃腺を腫らした時も迷わず先生の門を敲いたのは、あの「神技」が忘れられなかったからである。

鍼は勿論だが、他にこの院で好きだったのが、「合谷」のツボに据えるとたちまち痛みの消える稚熱灸(焼き切らず、我慢出来る限界まで堪えてブザーを押すと外してくれる)と、「テルミー」と言う金属製の短い棒状の器具で、これは中に熱源が有り、丸くなった先端部分で患部を圧しながら要所では止めて熱を加えるもので、眠気を呼ぶほど気持ちの良い物であった。

そしてもう一人「氏原はり療院」に欠かせぬのが、名脇役の奥さんである。
黙々と治療をする先生に代わって、患者にあれこれと話し掛け、夕刊が来ると目の見えぬ先生に新聞記事を端から読んで聞かせるのである。現代の常識からすると施術中に新聞?などと批判されるかも知れぬが、そこは名人「ほうほう」と相槌を打ちながら、手許に狂いは無い。時には「何々?お母さんが子供を殺した?まったくねえ」などと嘆じたり、その日の事件に対する奥さんの意見に対して反論したり、ある時にはお喋りが絶口調に達して来た奥さんを「ちょっと今、顔の難しい所をやってるから黙って」とたしなめたりするやりとりが、私には実に微笑ましい名場面であった。

先生はまことにユーモア溢れるお人柄で、休診日に具合が悪い時など「断られるかな?」と思いつつ電話をすると「私は美馬さんと天皇陛下のご依頼だけは断らん事に決めてますから」と言って快く診てくれた事を昨日の事の様に思い出す。その頃すでに八十を過ぎておられたが、己の医術を求めるものに休み無く応える姿勢には、実に頭が下がると言わざるを得ない。

その氏原先生も数年前ついに現役を引いた。

治療院はお孫さんが継いでおり、あの名人技の隔世遺伝を楽しみにしているが、なかなかタイミングがあわず、ご無沙汰している。新しい先生も開拓してはいるが、こちらが扁桃腺を腫らさなくなった事もあって、いまだにあの様な「即効の超絶技巧」には出会っていない。

昨今「刺す場所と角度」に多様性が見られぬのも気にかかる所であるが、おそらくは学校で学ぶマニュアルではなく、豊富な経験に基づく「勘」を養う事がこの道の要諦であろう。

「刺され刺されて三十年」

第二の氏原先生を求めて、私のハリ人生は続いて行く。

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