牡丹落花抄

またしても、またしても訃報である。

時しも節分、中村屋を失った悲しみから立ち直るべく駆け付けた、染五郎復帰初日の前夜、成田屋の訃報を聞く。
一度くらい「大成田!」と大向こうを掛けたかった。

歌舞伎の原初的な娯楽性と言う点に於いて、成田屋は最もその秘密を握っていた人であり、大きさという点において中村屋以上の「太陽」であった。

心に残る役は数々あるが、十八番は言うに及ばず、「石切梶原」の花道を引っ込む時のあの春風駘蕩とした味わいには、「巧い役者」がどう逆立ちしても敵わぬ陶酔があった。

團十郎という、歌舞伎界にとって絶対的な名跡を襲う時、口跡の悪さを叩かれ、世間中から名前負けと見られるスタートであったのが、大成駒の口癖の如く「上手くなくていい、歌舞伎座の舞台に相応しい大きな役者に」という王道を、この人は一心不乱に突き進んだ。

その結果が、あの現代離れした「おおらかさ」をもたらしたのであり、荒事の代名詞である「荒唐無稽」を我々に納得させてくれたのである。

私は「寛闊」というほぼ死語に近い言葉を、成田屋によって体得した。

この人以外で「毛抜」なんか観ても「ひとつも」面白くはない。あの馬鹿馬鹿しさ。音羽屋が語った様に「理性があったら出来ない様な事を大真面目にやる」事の至難さである。
そこへ江戸の衆道の味がひと刷毛加えられるから無類である。この点において十二代目に匹敵する役者は現在一人もいない。
それこそ「近頃、面目次第もござりませぬ」である。

何もパーっと明るい役だけが良かった訳ではない。
「吃又」の、己を否定しつつ認めて欲しいと必死にすがる人間の姿は、口跡で苦しんだ成田屋でなければ表現し得なかった名演であり、技巧で勝る人はあっても、私は今生であれ以上の又平には出逢えまいと思っている。

そして「千本桜」の知盛。前半は語りの緩急、世話の洒落っ気が求められる役ではあり、これも成田屋以上に面白く見せる役者はある。が後半、新中納言となって見顕すところの形容の立派さは、やはりこの人が随市川であった。ウデだけではどうにもならぬ貴公子性。あの白銀の衣裳が誰より英雄らしく映え、眩しかった。
たとえ悲劇であっても現代的に陰々滅々としない歌舞伎美。

再三引用して恐縮だが、歌右衛門は「一生懸命観たら疲れたわ」と言われる様な芸は未熟である、と言った。「喜怒哀楽がすべてご見物に(娯楽として)通じないと」とも語った。

歌舞伎は娯楽か芸術か?これは、相撲は芸能かスポーツか?という問いに等しいが、私は歌舞伎はあくまで高等な娯楽でなければならないと思っている。その事を、歌右衛門も團十郎も、理屈では無しに、やって見せた。

そう言えば、大成駒の口から「芸術」などと言う言葉を聞いた憶えは無い。

そしてもう一つ忘れられないのが、杉村春子と玉三郎を向こうに回して演じた「華岡青洲の妻」である。このとき成田屋は四十代。男ざかりの色気といい、タイトルロールに相応しい大きさといい、実に好いたらしい青洲だった。

終演後、杉村先生に「今までの青洲の中で今度の團十郎さんが一番いいと思います」と興奮気味に伝えると、例の弾んだ調子で「あら!あなたもそう思う?あたしもそう思うわよ」と嬉しそうな答えが返って来た。
杉村演じる母於継を「お母はん!お勝殺す気ですか!」と手強くたしなめる場面。杉村のシュンとなる可憐さを引き出したのは「惚れさせた」成田屋の手柄であり、それまでの青洲は、杉村に遠慮して押され過ぎていたのである。(先代勘三郎の青洲を私は観ていないが、杉村との年齢差や色気の質から言っても、成田屋の方が良かったに違いないと確信する)

この時分、学校で良く「華岡青洲ごっこ」(舞台を観た事もない友人たちに紀州弁を教え、休み時間の会話に「のし」「よし」を付けて喋る遊び。これはその昔、文学座に高麗屋一門が客演した時、歌舞伎の風習を面白がって加藤武らがやった「高麗屋ごっこ」と同根である)をやっていたが、「お母はーん、帰って来ましたでー」という成田屋の声色が妙にウケた。

とかく批判の的となった口跡も、長年の苦行によって味わいが出、いつの間にかあの低音で「ごぜえやす」などとドスを利かせるところへ来かかると「待ってました!」と楽しみに待ち構える様になった。これが芝居のカタルシスでなくて何であろう?

これは前にも書いた事だが、さよなら公演の掉尾を飾った「助六」の舞台稽古の日、私は大病を乗り越えた者にしか放ち得ない、神々しいばかりのオーラを感じたばかりか、成田屋のセリフが変わっている事に驚愕した。

この優にして、しかもこの十八番中のオハコに於いていまだに研究を重ねている。
しかも、間違いなく進化しているのである。

その最後の千龝楽の舞台に、河東節連中として並べた事は、私の生涯の宝である。

上手い役者はクサく、小さくなる危険を常に孕んでいる。
それに対して、不器用な役者が己の拙さを悟り一途に精進した時、上手い役者には出し得ない魅力を持つに至る。
これは、慢心せずひたぶるに生きた者への、「藝の神からの褒美」の様なものだと、私は考える。

父の早逝、大名跡の重圧、そして想像を絶する病魔との闘い。それらの苦難を、傍目には「明るく」成田屋は乗り越えた。

そして見事に「家の藝」を守り、遺したのである。

棺桶の蓋をかぶる時、その人の評価は決まる。
この人は、歌舞伎の藝というモノが「ただ上手けりゃいい」ってもんじゃないと言う事を私に教えてくれた。

十二世市川團十郎は、実に近代の名優であった。

大牡丹
バサリと落ちて
鳴動す

さんざ「巧い役者」を愛し、ほめそやして来たすれっからしの、これが成田屋の最期の花道への、馬の鼻向けでござんす。

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