アンコウを食らう

私の江戸料理彷徨、東京老舗めぐりの中で、長年タイミングが合わず未踏の名店だった神田「いせ源」を訪れる日がついにやって来た。

急に「今晩アンコウが食べたい!」と思ってもシーズン中は六名以上でないと予約出来ない厳しい条件ゆえ、とうてい「一人めし」の多い私には門戸狭く、予約なしでも当日席が空いていれば飛び込みもオッケーなのだが、満席の場合、寒空の下で行列してまで食う事は私の主義に合わない。また銀座を根城とする私にとって、神田までわざわざ出掛けて入れなかった場合、近くに名店は諸所あるが、「アンコウを食う頭と腹と舌」になっているのを容易に蕎麦や鰻に切り替える事は出来ない。

東京展の時なら手伝いの問屋さんがいるので六人揃う事もあるが、たいてい宴会スタートのラスト八時に間に合わない。一度早く準備が終わって電話したが何故かつながらずじまい。

そんなこんなで「しょせん自分には縁なき店か」と諦めかけていた「いせ源」だったが、今回は展示会の準備が七時前に終わり「こんな事は滅多にないから、普段行けないとこへ行こう!」と真っ先にここを思い出した。暖かくなったらアンコウなんて食いたくなくなる。桜は咲いてもやはり夜は肌寒い今夜が最後のチャンスだ!とばかり電話をすると、シーズンもほぼ終盤ゆえか空いており、あっさりと取れた。
京都からの組と東京組と総勢七名引き連れ八人で乗り込む。




まず建物である。先日火事で一躍話題となった同じ神田の名店「やぶそば」に匹敵する店構え。ここは昭和五年の普請、築83年の歴史を誇る。木造の三階建てという、もう現在では歴史遺産というべき姿が私をゾクゾクさせる。
私は子どもの頃から木造三階建てが大好きである。全国の木造三階建ての名建築を集めた本が出ないものか?と日々願っているほど好きである。おまけに二階建ての自分の実家が三階建て、つまり上に隠し階がある構造で、しかも横溝正史的おどろおどろしさ満載の夢を二度までも見た事がある。


扉の横のケースの中には立派な鮟鱇がカチ割り氷をかぶって鎮座している。

ガラリと引戸を開けると「いらっしゃいまし!」とまたまたアンコウのお出迎え?と思わせるほど表のアンコウに良く似た親爺さんがニコニコと立っている。この人果たして御主人なのか、古手の下足番なのか聞きそびれたが、いずれにしてもこの店の看板おやじである。


ここで渡される木札が何とも味がある。二階の「五十二番」へ通される。


ここの建物は複雑な造りで二階へ上がる階段も表と中の二ヶ所、さらに増築部分にもある様に見え、三階へはまた別の場所から付いていて迷宮好きにはこたえられない、入り組んだ構造である。この日は二階席に通されたが、次回は是非あの三階への階段を登ってみたい。というか、この店を上がったり降りたり縦横無尽にお運びをしてみたいのである。やっぱり病気。

想像とは裏腹に仲居衆もみな愛想良く、名店特有の仏頂面や何様的接客とは無縁の店である。






早速ビールを注文し、まずは「あん肝」「煮こごり」「とも和え」の三品で始める。どれも流石に美味。


やがてお目当ての鍋が運ばれて来る。味噌味や茨城のどぶ汁(肝をすり潰したもの)もあるが、ここのは醤油だし。あん肝の朱色にうどの白、絹さやの緑に銀杏の黄色と、見た目も旨そうな彩りである。


火をつけて炊けるのを待つ間に「唐揚げ」が来た。これが絶品。私はフグの唐揚げにも劣らぬと思った。


ビールから焼酎へ。ハウスボトルの麦が飲みやすく杯が進む。

鍋が炊き上がる。お取寄せ食品でも何でも、最初だけは頑なに先方の手引きに忠実にやらないと気が済まない性分で「あんこう鍋はじっくり火を通して」とお品書き裏に書いてあったのを鵜呑みにし、お姉さんが「はいどうぞ」と言うまで待っていたので、私らしくもなく三つ葉と絹さやは煮過ぎてしまった。
だが他は良かった。アンコウは各部位ごとの歯ごたえと風味が楽しめ、醤油だしは黒々とはしているが、野菜の水分も出て意外にあっさりである。
ただしこれも煮詰まって来ると段々辛くなるから一度湧いたら火を弱火に絞ってやるが良い。

この具材の中で特筆すべきは白滝と独活(うど)であった。

蕎麦でも何でも「細っこい」のを粋とする江戸東京だが、こんな細い白滝は私は今まで見た事がない。オツである。
そして独活である。以前「熊を食らう」で紹介した比良山荘の月鍋にもこれが入ってい、熊肉との相性が抜群だったが、今日のこの独活はそれを上回るヒットであった。おそらく醤油だしの甘みの少なさが独活の風味を引き立てるのだろう。

極論すれば、ここのあんこう鍋は「鮟鱇の出汁で独活を食べる」為にある、と言っても良い。
そしてまたこの独活というやつは和え物などにするより絶対にこの食い方が一番だと思った。

土佐の地に起き伏し、鮟鱇という魚をさほど食べつけない人間にとって、あんこう鍋は絶対の好物にはならぬかも知れぬ。身の旨さだけで言うなら、ひところオーベルジーヌで良く食べたペルノーソースの方が美味い様に思う。同じ江戸の味でも私はどちらかと言えば、どぜうの方が好きなのである。
しかし、この独活と唐揚は実にうまい。これが無かったら、私はこの予約困難な店に再訪を確信しなかったかも知れぬ。
それほどのインパクトであり、高得点の両者であった。


最後に雑炊。これも他にない「まったり」とした味わいの物で大いに気に入った。

店も看板に近づき、私たち以外の客は散り果てたところで女将さんがお勘定がてら挨拶に登場。
私が「女将さん、大津美子に似てるって言われません?」と聞くと驚いた顔で「言われますけど、お若いのに良くご存知ですね」と喰いついてくれたので「知ってますよ大津美子ぐらい!」と返しつつ酒の勢いこの場の座興、貸し切り状態を良い事に「ここに幸あり、青い空〜」と一節アカペラで歌い上げる。
これが問屋一座でなく、むーちゃんや梅嘉ちゃん、笑ちゃんのチーム変態の席だったら「神田いーせ源、あんーんこうぉなぅわうわべぇえいえいぇー」と大津節で即興替え歌が出てヤンヤヤンヤとなるところである。


気のいい女将さんに店の歴史を聞きつつ、展示会の案内状もしっかり渡す。


店内にはそこここに魚の絵が沢山掛かっているが、私が目を止めたのは中川一政画伯の作だった。


また伺いますと再訪を約し、女将さんとアンコウさんのお見送りで店を後にする。

気分良く、地下鉄には乗ったが昼間メールで注文をくれたお客様の店へちょっと顔出そうと銀座で下車。ちょっとのつもりが三軒ハシゴとなり、展示会初日を前にあり得ぬ深酒となったのであった。


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