私のいきつけ15 たに志


私にとって、あまりにも身近く、親しむに永き止まり木。数あるいきつけの中でも、夜の部の大別格総本山、それが「お茶漬の店 たに志」である。別格過ぎて、この項にも易々とは書けず、長く棚上げになっていた。そこへ、たった今、哀しい知らせが舞い込んで来た。

たに志のお父さんが亡くなった。

俗名 谷脇志朗。よって「たに志」である。

長(なが)の患いでここ数年店には出ていなかったが、居なくとも、そこかしこにお父さんの気配があった。あの独特の風貌、凄み、そしてユーモア。

哀悼の意をこめて、経文がわりに書き贈る「私のたに志」

この店へ通い出したのは一体いつの頃だろうか。最初に誰に連れて行って貰ったかも、茫として知れぬ。
最初はご多聞に漏れず、飲み会の〆として、茶漬けの類を食いに寄ったのであろう。
それが次第に、高知市内で泊まる日の安息の場として、夜の一軒目の最多回数を誇る「いきつけの中のいきつけ」となった。


もとは志朗さんが中央にデンと陣取り、脇をお母さんと息子の大ちゃん、それに時折名物店員のケイコさんが固める構図であった。
志朗さんが病に倒れてからは、母子とケイコさん、時々アルバイトの中国人留学生で留守を守っている。

私は主に一人で、時には問屋と連れ立ち、稀には二階を借り切ったりする。

さてこの家の名物は、と書き出して、おっと〆はまだ早い、さりとては気の短い、と心を改め、順を追ってご紹介する。

名店犇く「おびやまち小路」の、まずは入口の風俗店(現在は閉店)の客引きのお兄さんを遣り過し、関羽、山岡、彦乃ら錚々たる老舗の賑わいを垣間見ながら辿り着き、縄のれん越しにカウンター席の空いているのを確かめ、ズラッと並ぶ小鉢の総菜をチェックしながら、己が指定席たる一番奥の、テレビ下へと進む。


大抵の場合、ほうれん草か山東白菜、その日のおひたしから始めるのが私の流儀である。
冬ならおでんの中から牛すじと「浸かってない」大根を注文する。

季節季節の魚や野菜にそれぞれの手をかけた小鉢の中から二三品取り、日によって刺身や焼魚を食う。

中でも、この家の定番で欠かす事の出来ぬのは「揚げ物」である。ことにアジフライとカキフライがちょっと無い名品である。


私はカキフライは「加熱用」の大粒ではなく、酢ガキで食べられる新鮮な「生食用」を揚げてもらう。


アジフライのサクサク加減も、何がどう違うのか、他では味わえない食味である。これはお母さんの腕。
これらフライ物に付いて来るポテトサラダがまた名品。少し控えめの味なので私はいつもマヨネーズを足す。


季節は限られるが「ニロギ汁」も名品である。春菊と豆腐とニロギが、ベートーベンの三重奏の如きハーモニーを奏でる。私はニロギ汁を飲む時ほど「ああ我(われ)、土佐の国の酒飲みよ」という、ホッとした情感に駆られる事は無い。あの一抹の生臭さ、エグ味、銀粉の揺蕩(たゆたい)、全てがいとおしい。

酒も肴もどんどん進む。会話も進む。

そして、この家はそもそもお茶漬を看板にはしているが、私はここでは茶漬はほとんど食わない。何故なら、米が美味過ぎて茶漬にするのがもったいないのである。
志朗さんは「うちみたいなええ米使いゆうくはそうそう無い」と自負していた。

だから私も正月の「七草粥」と、稀に宿酔いの時「ニラ雑炊」を注文するほかは白飯、もしくはおにぎりである。おにぎりは可愛らしい小型が五つ。全て味が違い、これも楽しいが、私は圧倒的に、白樺派ならぬ白飯派。飯良きことは美しき哉。帯屋町小路飯篤である。

それは何故か?

ここからが、この店の真骨頂であり、白眉である。
散々飲み、食い、喋り、時には笑い、時には喧嘩し、また時には涙して重ねた盃の、トドのつまりはここへ行き着くのである。


「玉子焼き」

この、日本男子の好物の王道、否日本食の大横綱、そのある究極のかたちがここにある。
人はどんなに美味い、贅沢な料理を食っても、母親の味には敵わない、という不動の真理がある。まして私は料理を生業とする家に生まれ「この料理はこうでなきゃ」という拘りが人一倍強い人間である。
そんな人間が、「玉子焼き」はここ、と決めている。志朗さんの玉子焼きのユルユル加減は実に絶品であった。大ちゃんのはややしっかり目。それぞれに美味く、これが炊きたての飯の旨さを弥が上にも倍増させる。


ユルユルで中身が漏れ出したら飯に玉子汁を「なすくって」食べる。

そして、ここが重要なのだが、私は「自分はこれからの人生に於いて、これ以上美味い玉子焼きには出会わなくていい」と思っている。念を押しておくが「出会わなくていい」のであって、「出会わないであろう」ではない。

私も若い頃には、その料理の最高峰を求めて店々を経巡りもした。しかしこの頃では、いい歳こいて新しい味を求め、新店を開拓しまくるという事が、ひどく馬鹿馬鹿しく思えて来たのである。

たまにはそれも良い。
しかし、幾つになっても安住の地、「何の料理ならどこ」「こういうシチュエーションならここ」という不動の店を持たぬ人は、結句「食」というもののみならず「自分の中の絶対」を知らぬという事に於いて、永久にモノが見えぬのではなかろうか?

買い物をしても、「もっと良いのがあるんじゃないか?」と疑ってかかるタイプは、総じてカスをつかむ。そうでなくても、結局何を買っても心底満足しないから、不幸である。

大きく話が逸れた。

玉子が焼けた。飯も炊けた。そう来りゃ味噌汁である。
土佐の誇る名店「たに志」の大真打、「しじみ汁」の登場である。


通常は三つ葉だが、私は葱。
季節によってお母さんは微妙に味噌を加減する。
これを吸う時、私は酒に絡めたその日の悲喜こもごもを、しみじみと洗い流し、飲み下す。

飲む度ごとに、この不摂生の人生の、医薬ではとうてい手に負えぬ重い溜飲を、ゴクリと下げているのである。一度でも、私がこの汁を飲むのを見た事のある人は知っている。
その貌には、食物によって蘇生し、生命力を漲らせる人間の、無上の歓喜が満ちあふれている。

これに納豆を加えて、私の「黄金の〆」の完成である。

納豆はネギのみ。海苔も卵も入れぬ。これを覚えてもらうまで「納豆、海苔抜き、卵無し」と注文する度、志朗さんに「納豆は?」と返された日々が懐かしい。
ややこしい注文に対し「あれもこれも要らん言うき、納豆も要らんろかと思うて」と言うのを一言に凝縮した、実にウィットに富んだ切り返しであった。

私の食欲全盛期、小鉢二三品、刺身、焼魚、冷奴、焼き茄子にメシ、汁、納豆、卵焼きが定番であった。これらを平らげながら尚もメシのお代わりをする私を、志朗さんは呆れつつ「美馬ちゃんはホンマ旨そうに、良う食うのう」とニコニコし「わしはよう食わんき、しょー羨ましい」と言った。

気難しいところもあり、相手によっては苦虫を潰した様な顔をしたが、私に見せてくれたあの顔は、実に優しい、可愛らしい顔だった。

別れは悲しいが、闘病から解放され、ホッとして旅立ったと思いたい。

志朗さん、お疲れさまでした。

そして、数え切れない、美味しい玉子焼きを、ありがとう。

これからも、大ちゃんとお母さんを見守っていて下さい。

あなたの「たに志」は不滅です。(合掌)

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