イノセント

今日新聞を読んでいたら、猪瀬知事の辞任に絡めて「薄汚れた東京五輪、都にホストの資格ははあるのか?」との一文が目に留まった。

いかにも只今の世論に迎合した、正論の様ではあるが、これはいささか調子に乗って正義を振り回し過ぎの物言いである。

この記者子はもしや「汚れてない五輪」などというものがこの世に存在すると、真剣に思っているのか?そうではあるまい。「そんなものはありはしない」と百も承知でいながら、平気でこういう事を書くのである。

それはつまり、そう書いた方が自社の新聞にとって得策であり、今の時流に乗るからである。みんなが誰かを一斉に責め立てている時、ここぞとばかり便乗し、煽動し、思考停止の一大ムーブメントを起こす。こういうのを山本夏彦翁は「パクパク」と言った。

「汚れた五輪」が存在する以前に、そもそも人間はみな汚れているのである。

ここに引き合いに出すのにあまりにもお誂えな松本清張×野村芳太郎「疑惑」の山田五十鈴風に言えば、

「そんな事も知らないで良く新聞記者がやってられんねえ!家へ帰って良く女房に聞いてご覧!そんな調子じゃ逃げられちまうよ!」

てなもんである。

あらゆる組織、大会に不正、派閥、権力争い、揉み消し、情実は付き物である。
新聞社もその例外ではない。

この記者が「自分は汚れてなんかいないし、あくまで五輪は清く正しくあるべきだ」などと考えているとしたら、これにはもう付ける薬は無い。

私は今日の記事を読んで、遠い昔の高校野球を思い出した。

我が高知の明徳義塾が、松井秀喜を連続敬遠したあの事件である。
あの時、世間はこぞって明徳を批判した。批判というより国を挙げての集団リンチであった。
わたしはその時二十歳になったばかりであったが、まわりの大人たち(高知県民)が世間と一緒になって「あれは何ぼ言うたちやり過ぎ」「高校生らしゅうない」などと嘯くのを聞いて、無性に腹が立った。

「強い者と真っ向勝負しない」という戦術が正々堂々、男らしい態度、というものから外れるものである、というくらいの事は理解するが、スポーツというものは「ルール」あってのものであろう。そのルール内で勝負に勝って、それを卑怯千万の様に叩かれるとしたら、それは「ルールの不備」ではないか?

私がこの時、何よりも頭にキタのは、一般社会と一緒になって明徳を批判した、主催の朝日新聞と高野連会長の牧野老人であった。事もあろうに当の主催者、責任者が、使ってはならぬ戦法を禁じないでおいて、その「使い方」が悪いと言ってバッシングの尻馬に乗るなんてのは、それこそ「スポーツマンシップ」に反する破廉恥行為であり、天に唾する行いである。

また一般社会では「長いものに巻かれろ」と言い、朝日新聞のお家芸である戦前批判では、いたずらに強がらず、弱い者は弱い者の戦術で結果的勝利を導くのが上分別であり、先の大戦の様な向こう見ずな、己の実力を知らぬ「負け戦」は愚の骨頂の筈ではなかったのか?

また、明徳の子たちとて、負ける為に来ているのではない。一生に一度の晴れ舞台で、一つでも上のステージに勝ち上がりに来ているのである。高校球児としては途轍もなくイレギュラーな大打者を前に、野球というスポーツの中の一つの戦術として厳然と認められている敬遠という手段を使って何故悪かろう。

そう言いつつも、確かにあの時の松井は気の毒だった。しかし、それを封じ込める為に敢えて卑怯者の汚名を被った明徳ナインはさらに辛かったろう。
あまりにも強過ぎた松井自身の運命的非運ではあったが、私は当時から「これこそがこの男の勲章である」と思っていたし、また「この男はこれで終わる人間ではない」と確信していた。事実、彼にはそれを数十倍にして余りある栄光の未来が待っていたのである。

一般のファンと称する有象無象にしてみたところで「松井にバットを振らしてやりたかった」と同情するような事を言いながら、その本心は、おのれが「松井が打ちまくるのを見たかった」だけの事である。

そして、不祥事が起こる度に、その高校のその生徒だけが例外かの様にトカゲの尻尾切りをやって恬として恥じないのも、高野連並びに朝日の得意の偽善である。

甲子園に出るほどの球児なら、まわりの女子が放っては置かない。「飲む、吸う、犯る」は通過儀礼であり「甲子園球児においてそういう事はあってはならない」などという建前をウリにし、嘘で塗り固め、取り繕った上に自分たちの名誉、社会的立場、あまつさえ売上を保持する。

高校野球でさえこれである。数万倍の金が動く五輪など、清い訳がなかろう。

それらを知っていながら「世界の友好」だの「子どもたちの夢」だの、反吐の出る綺麗事を掲げて水に落ちた犬を打ちながら、己への批判は絶対に許さぬマスコミという権力。そして、それを支える「善良な」読者。

誰よりも汚れた事をしていて、自分だけはきれいだと言う。

自分がその立場になったら必ず同じ事をするのにもかかわらず、それが出来ない腹いせに糾弾する。

この人たちはこれが一番快楽なのである。

夏翁はかく語りき。

「この世は嫉妬で動いている」

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