酔言猛語

歌舞伎座最後の舞台稽古

今日はいよいよ明日初日を迎えるさよなら歌舞伎座公演お名残四月大歌舞伎の舞台稽古であった。助六出演の河東節連中の一人として、團十郎丈、玉三郎丈を囲んでの記念撮影に加わる。

何度も近くで拝見しているが、成田屋の貌は病気克服後、一番輝いて見えた。生死を彷徨った人にだけ与えられる超越のような物が感じられ、その上、セリフに工夫が見られたのは、新鮮であり、敬服の至りである。寿海ばりの陶酔さえ感じさせる所があった。体に叩き込む、という事はこういう事であろうと、若輩者の生意気ながら、感じ入らずにはおれなかった。

音羽屋の白酒売とのやりとりは安定の中に、同窓生の真剣な議論のような熱さが感じられ、中村屋の通人の、関係者を湧かせてしまうおかしみには、やはり一目置かざるをえない。松島屋のくゎんぺらは、ご馳走はご馳走だか、本当はこの人の意休を見たかった。さぞかし色気のある、いい意休だったろう。並び傾城の芯を勤める松也が通る声と情味のあるセリフ回しで上出来。ただ松也以下の傾城の掛と俎板帯の配色が私には疑問。まずはともあれ、さよなら歌舞伎座にふさわしい大顔合わせの一幕であった。

千秋楽が待ち遠しい、の反対で、なるたけ迎えたくない心境である。