酔言猛語

二代目!

私にとって「陛下」と言えば、それは昭和天皇の御事であった。
小学校の時から、私は先帝の大の「贔屓」であった。
小さい頃から、本業の俳優ばかりでなく自分の身近にいる人々を含め、人間というものを「役者」として見る癖があった私は、善人であれ悪人であれ、それぞれのキャラクターの、あるいは立ち、あるいは潜め、あるいは韜晦しするのを観察し、評価をして来た。
そういう「人間番付」の、別格の大横綱が昭和天皇であった。
一度は「神」になったひと故に、他の有象無象と比べものにならないのは当たり前だが、それも先帝御自身の「人間力」あっての事である。

そんな私故に、現天皇夫妻の事は、正直言ってずっと気に入らなかった。
「物足りない」と言うのが率直な思いであった。
これが「二代目はつらいね」という事である。
もちろん今上陛下は天皇としては二代目ではない。
しかし、我々昭和人にとってみれば、やはり「二代目」である。
その思いを、「先帝には遠く及ばない」という思いを、誰よりも重く、深く致された結果、ついに今上陛下は激動の時代に御代を統べずして、父帝に並ぶべき天皇となった。

これはまことに不遜極まりない物言いであり、馬鹿が読んだら「天誅!」といきり立つかは知らねど、私に言わせれば「二代目、いい役者になりましたね」と申し上げたい心境である。

前にも書いた事だが、私は美智子妃に対して、永く良い感情を持っていなかった。
それは、あまりにも香淳皇后の人気が薄く、美智子フィーバー以来の偏った世論にアレルギーを持っていたからである。
この事は、皇室を通して「一面でしか物事を見ない」「ブームになると片方を持ち上げ、片方を貶めないと気が済まない」という日本人の悪しき単一思考、付和雷同に拒絶反応を示したからであり、今にして思えば美智子妃には何の罪も無いばかりか、トバッチリもいいところである。
無論、ポッテリ瓜実顔の良子皇后が、細身で繊細そうな美智子妃より、私の日本美人観に適合していた事も重要な事実である。

そもそも「いじめ」なんどと言うが、遠い昔、貞明皇后の輿入れの際、英照皇太后以来の鬼女官、万里小路幸子が節子妃をビシバシしごいた話は有名であり、貞明さんはそのシゴキに対して後に感謝の意を表し、一首の歌を遺している。
皇族内の「ドングリの背えくらべ」に比べ、初の民間からの嫁入りは、想像を絶する辛苦であったろう。
しかし「新入り」を試し、そのシゴキについて来られる者のみを認めるのは「やんごとなき」階級から我々下賤の田舎者まで通底する人間界の「世の常」であり、動物界から学んだ人類の叡智である。

故に、美智子妃は一言も発さず、耐え抜いた。
インタビューなどでは「陛下に守られて今日までやって来られた」旨の発言をされているが、私は実は皇后は、下世話な物言いだが、「うちのお父ちゃんは日本一!」という気概、性根、信念に溢れておいでの様に忖度する。
それが、あの夫婦愛の結晶として顕れるのであり、「本当の賢夫人」というものはこういうものである、という事になる。

実に見事な、いや、美事な夫婦である。
他人は知らぬが、私はこの様な元首を戴き、何たる僥倖かと、しみじみ思う。
合理主義、市場原理主義だけでは人間は生きて行けない、たとえ生きていけるとしても、それは無味乾燥な砂漠の人生である。

我が父の、酔って宣う得意のセリフに
「優しいだけじゃ生きていけない」
「だけど」
「優しくなければ生きている意味がない」
というのがある。

こうした事どもを、両陛下は百も承知で、「不言実行」の人生を生きて来られた。
ちゃんちゃらおかしい芸能人が「プライベート」などと輸入の言葉でサボっている間も、まさに寝食を忘れて、民草に御身を捧げて来られた。

我々はお二人から「丁寧に生きる」という事を学ばなくてはならないのである。