鎮魂と憤りの中で
人間の真実という物を、分かる者には深く分かり、分からぬ者にはさほど分からぬ様にだまし絵の様な絶妙な筆で書いた天才森本薫の傑作戯曲「女の一生」に、「本当の事は言っちゃいけないんだ」という名台詞があるが、私は本当の事を言うのがこの駄文綴りの唯一の美点だと思っているので、あえて憎まれ口を叩く。
震災から二ヶ月近くたち、義援金の分配や補償の問題が全面に出ているが、いかなる場合でも「してもらうのが当たり前」という考えには私は賛同しない。
何故と言って、今回は規模が大きいので国も動き、世間も大きな関心を寄せているが、長く続いた平和な戦後日本の来し方には、天災や交通事故、あるいは理不尽な犯罪などによって突如命を絶たれ、又は家を失い、生涯にわたる傷を負った者は無数に存在する。
しかるに、それらの人々は国に一円の補償も税金免除もしてもらわず、世間から注目、同情もされずに歴史の中で葬り去られて来た。
その違いは何か?
これが「衆寡は敵せず」という事である。
日頃は弱者を守れとか、声なき声を聞けとか言ってるが、実際は数の力には敵わない。
被害者の中にも強者と弱者があるのである。
これは南京大虐殺の死者数争いにも顕著な「よけ殺された方が偉い」という思想である。
逆に昔、福田黄門は「人命は地球より重い」と言ったが、私は地球が滅んだら全人命が無くなるのに?と考えて頭からぶすぶす煙がいぶり出たが、一命尊重原理主義も、多数優勢主義も、結句同じ穴のむじなである。
どちらも本当には、人間というものの、美しさも醜さも知りはしない。
真砂女よむ
「鯛は美の
おこぜは醜の
寒さかな」
プロパガンダに瞞されるな、という典型が、昨日新聞に小さく載った新聞記事である。
東北人は忍耐強い、今回の震災が東北でなかったら日本は滅んでいる、と囃し立てる者が数多いたが、新潟の女子中学生が、福島から避難して来た男子の腹を蹴った。
マスコミのバッシングによって、極悪のレッテルを貼られたが、「自己責任」という言葉の本当の意味を今こそ日本人は噛みしめなくてはならない。
法律とか、制度とか、時代とかそんな事ではなしに、究極的野性的根元的に、心構えとしての「自己責任」。
三島は葉隠れを引用して、「意味ある死」が出来ない戦後を呪った。私はそれには随伴出来ないが、心情は解する。
何十年も前に、一億総白痴化と言った評論家がいたが、今の世は一億総欺瞞化である。
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