身も蓋もなし

菅が辞めるフリをして「震災復興のメドだけは着けた」という譲れない果実を睨んで悪あがきをしたかと思ったら猛反発を受けてあえなく腰砕け、見ている方は拍子抜け。

鳩山の馬鹿が菅をペテン師呼ばわりしたが、そもそも総理退任後衆院選には出ないと言っておきながら「やっぱり辞めるのやめます」と、恥知らずな前言撤回をし、未だに政界にとどまっているおのれこそ「ペテン師」の最たるものである。
(あれは間違いなく小泉の引退を皆が格好いい、潔いと褒めたので真似してみたくなったのだ、と私は睨んでいる。そして真似してはみたが国民もマスコミもさほど称賛してくれなかったから辞めるのが惜しくなったのだと私は確信している)

お隠れあそばすのが好きな小沢は、またしても雲隠れの体で、何の事はない、金で飼っている子分の多いだけが生命線である。もう良い加減に解脱したらどうか?

昔の岸信介、大野伴睦あたりの駆け引きには芸術的人情がらみのやりとりがあった。

しかるに今は主役も三流、脇役も三流、一座揃ってドサ回りである。

そしてまた、この政治の混乱について新聞にこぞって載る被災地の意見、これも私には眉唾である。
かなり新聞社の恣意的取捨選択が感じられる。
誤解を怖れずに言えば、自分の住んでいた土地が、天災で流された。これが、これだけが真実であり、その始末を阿呆な政治家に頼る気があるとしたら、気の毒だかそういう人は救われぬと思う。

現に先頃シンポジウムで来高した仙台の魚屋のアンチャン(もちろん被災者)は「私たちは今回の震災は仕方ないことと割り切っている」と言った。まだその上にピンチはチャンスだと言って苦難を逆手に取ろうとして様々な活動、発信を始めている。実に頼もしい。
そしてはっきり「自粛はしないで下さい」と。
高知でも三月以降いくつものイベントが中止になったが、まったく愚かしい事であり、まさに日本人の「事なかれ」と「右へ倣え」が最も悪い形で現出したパターンであった。

また他のパネラーからは、震災後、同じお金を使うなら「質の高い」「志のある」消費をしようという動向が見え始めているという。
震災と無関係に謂わばその事ばかり百まんだら言い続けて来た私に取っては、まさに我が意を得たりであり、「人は何かを失えば何かを得る」というのは本当なのである。

国民一人ひとりの意識改革なくして復興はあり得ない。ぐちゃぐちゃになっている永田町なんかあてにしたって馬鹿を見るだけである。

人間というものが地球上にある限り、全ての人が何事もなく平穏無事に生きる、という事は絶対不可能であり、いつ何があってもおかしくはないのがこの世の真理である。

だからこそ、日々の暮らしが有難いのであり、生きていることの喜びがある。

今回の事で、日本人がある「気付き」をするとしたら、それは僥倖である。

お上なんかあてにするな、とは言っても目に余る者は断罪されねばならない。
震災翌日、銀座で何人ものホステスを引き連れてドンチャン騒ぎをしていた民主党議員の名を私は知っている。
この国難の真っ最中に六本木で女とじゃらついていた写真を撮られ、大叔父の名に泥を塗った後藤田バカズミしかり、まこと憂国の士は絶え果てて、国会は阿呆の見本市となったのである。
しかし墜ちる所まで墜ちたら、後は上がるしかない。少しも絶望する事はないのである。

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