夜食の愉しみ5
今日は私の夜食の中から極め付きをご紹介する。
その名も「納豆茶漬」。
名を聞いただけで訝しむ向きもあろう。
これまで何人の知友に、その風味絶佳なる事を掻き口説いて来たことか。ある時期私は「納豆茶漬」の伝道師であった。ピーク時は一年半毎日食べ続けた事もある。
話す度「気持ち悪い〜」と言われ、私の言う事を信じて実行し「美味しかった」と言ってくれた人は五指に足りない。
しかし大方の想像する様なゲテモノでは断じてない。
第一私がこれを何処で知ったと心得る。畏れ多くも天下の名料亭「吉兆」創業者にして一代の数奇者、湯木貞一翁の名著「吉兆味ばなし」である。
その中に「お茶漬十二ヶ月」という、茶漬と聞いたら居ても立ってもいられぬ私には堪らぬ稿がある。
二十代でこの本に出逢い、食い入るように読んで頭に叩き込み、即刻全種試してみた。
中でも劇的に美味かったのが「納豆茶漬」であった。
その極意とは。
まずは湯木翁の教えの通り、納豆は小粒が良い。
今日は冷蔵庫に大粒しかなかったので、手間だが包丁で引きわりにする。お茶漬は何によらずサラサラッと掻き込むのが身上だから、具はなるべく噛まずに飲み込める大きさの方が良い。天茶の小柱も同じこと。
そしてこの茶漬の一番のポイント。湯木翁曰く「おしょう油を入れるのはあと。なんにも入れないで、かいて、かいて、かきたおします」。
この「かいて、かいて、かきたおす」のところを身ぶり手振りを入れて人に教えまくっていた頃が懐かしい。
魯山人は「納豆は四百回かき回すべし」と言ったそうだが、私は今まで最高二百回手前で挫折した。
この「納豆はかき回すほど美味しくなる」という俗説について、NHKの「試してガッテン」か何かで検証が行われ、何と「いくら混ぜても旨味成分に変化は無い」という結論が出た。
私はその番組を見ていないのだが、人に聞いて驚いた。地球は丸かった、と聞かされたのと同じくらいの驚きである。
日本薄謝協会め、無粋な事しやがって!と腹を立てながら、「しかし待てよ」と考えた。そうだ、機械が計測出来ないものを私たちは感受出来るのだ、と思い至った。
そうでなければ吉兆も魯山人も浮かばれまい。
閑話休題。熱々のご飯の上に納豆をのせ、醤油を私は小さく二回半、回しかける。
翁のレシピでは辛子は納豆にまぜるが、私はその日の気分で茶碗の縁に添える。
そしてネギ。これは翁はもちろん白ネギだが、高知には旨い青ネギがある。視覚的にも納豆の地味な茶色の上に青々とした青ネギが来た方が美しく、さりとて葉先ばかりでは歯応えがイマイチなので、ちゃんと根元の白い部分もまぜてこれも細かく叩く。
そして熱々のお茶。我が家ではほうじ茶を用いる。煎茶では碗中が一つにならない。
海苔は細かさで言うと針海苔だが、風味の上からは大きいのをさっと炙ってもみ海苔にしたのがオツ。いずれにしてもベチャになるのが勿体ないのでお茶をかけてから最後にとめる。これで完成。
一気呵成に流し込む。「サブサブサブッ」
自分で自分の食べている音が旨くて味も倍増する。全身が納豆をこの上無き有難い物として「お迎え」する。
言うなれば「ネバ注入」である。
これだけは人に作らせては気に入らない。全て自分で御膳立てをして初めて納得のいく、究極の大好物である。
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