偏愛的女優論 第五章
松尾嘉代という女優がいた。
いや、正しくは今もこの世にある。が、ここ二十年近くその姿を見ない。
私の女優偏愛の中で、この人は異色中の異色と言っていいだろう。
癖のある台詞回しと、濃厚な色気に特徴があり、一時は「サスペンスの女王」だった事もある。五十を前にヌード写真集を出し、どちらかと言えば「ポルノがかった女優」というのが世間の評価かも知れないが、長く表舞台から遠ざかっていて、消息は知れぬ。
私は子供の頃から、この人の二時間物が好きで、ことにビデオ普及前のフィルム撮影の画質においては、この人と天知茂の二人は傑出していた。横溝正史とは違う「江戸川乱歩的怪しさ」であり、つまり「洋館」の似合う女優である。
作品名も何も覚えていないが、足が不自由で車椅子に乗り、ラストは海辺か何処かの水際で殺されそうになる女主人公を鮮烈に覚えている。
何故今夜、急に松尾嘉代の事が書きたくなったか?
他でもない「闇の狩人」を久々に観たからである。
私は時々無性にこのシャシンが観たくなる。江戸の闇、人間の業、恨みつらみ、敵討ち、男と女、権力と大衆、全てがここにはある。
歌舞伎の好きな人間が五社英雄のシャシンを好むのは至極当り前の事ではあるが、この作は派手な殺しの中に人間の様々な「ざま」が描かれていて、まさに五社は「昭和の南北」と言わざるを得ない。
圧倒的な名優総動員の中で、松尾はむしろ脇役の一人という位置づけであるが、私に言わせればこの作品は松尾嘉代で持っている様なものだ。
仲代はじめ、原田芳雄、岸恵子、いしだあゆみ、成田三樹夫、室田日出男、ハナ肇(この人のこと今の世間は忘れ過ぎ!)など好きな役者オンパレードだが、この作に於いては松尾嘉代のハマリ様に何人(なんぴと)も及ばない。名付くれば「絶演」とでも言うべきか。
「猿(ましら)のお蓮」それが彼女の役名である。
大滝秀治演ずる芝の治平親分の愛妾であり、女殺し屋。冒頭から他の女優では到底なし得ない演技で場をかっさらって行く。目の前でいきなり大滝が殺されたのにも怯まず、主役仲代の必殺剣を足で踏みかわし、全篇を貫く「畜生!」の名台詞を吐いて障子を突き破って逃走する。
この時点で普通の女優では無理である。如何にスタントを使おうが、演じている本人にリアリティが無かったら「いま人替わった」感がありありとするのであり、そこですでに白けてしまう。
その後は親分大滝を殺した原田芳雄を執拗につけ狙う。カットしようと思えば出来たシーンをあえてふんだんに残した事が、監督五社の松尾への評価を雄弁に物語っている。
湯屋の場面で片膝立てて刀を構えるところなんざ、日本映画史上最高の妖婦ぶりである。
私は松尾嘉代という人の妖婦ぶりはおそらく、伏見直江に並ぶと思う。近代の二大ヴァンプ。
殺しの前に見世物小屋を見下ろすところ、寺の塀によじのぼって様子を窺うところ、刃物を加えて水の中から浮かび上がるところ、何度観てもゾクゾクする。
そしてあの声。
主演仲代と好一対をなす、低音の魅力。
「低音は凄味」「高音は滑稽」これはイロハのイではあるが、これを追求すればやはりそこには否定し得ない黄金律が見えて来る。
その裏をやるにも、そこを通らずには出来ないのである。
それと、この人のもう一つの特徴は、台詞を喋る時にほとんど口許を動かさない事である。「口許を動かさない女優」の系譜には沢村貞子、山岡久乃らがいるが、さらに松尾は口を動かないと同時に歯をほとんど閉じたまま喋る。故に「へ」の字の上唇が強調され、憎々しさが倍増されるのである。
何よりこのシャシンを観ていて、全登場人物の中で一番イキイキしているのがお蓮である。他の者は皆、色んな事に囚われているが、お蓮はただ、「畜生!」の一事で生きている。私にはそこが、堪らなく魅力的である。
物語における「テロリズムの美学」と言うものは、やはり美しい。
もし、松尾以外の女優がこの役をやっていたら、このシャシンは半分の値打ちしか無かったであろう。こういう役を一役でも持てたら、役者としたら冥加である。
私は「闇の狩人」一作で松尾嘉代を認める。
終盤、松尾演じるお蓮は宿敵原田芳雄を仕留める。そして自らも花鋏で胸をえぐられ「ツケは払わしてもらったよ」と言い遺して死んでいく。
ここは何度観ても疑問である。
お蓮の方が平三郎に貸しが有るのだから、それを言うなら「ツケは払ってもらったよ」ないしは「貸しは返してもらったよ」であろう。
希代の妖婦役者、松尾嘉代は今どうしているか?あの凄味ある低音を耳の中で反芻するにつけ、同じ低音の呪術性をもった歌手、ちあきなおみを想い、欲しても届かぬ二人の「正体不明の女の二人芝居」など、あったらさぞかし面白かろうと、夢想して杯を重ねる。
松尾がこの作に出たのは三十代である。
現代女優陣を見渡して見よ、この人の後継者はただの一人もいない。
「ちっきしょうー!」
そして
「ざまあみろ!」と言う他は無い。
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