京屋恋し
浅学非才の身をもって、何をか言わんやと言うべけれども、如何にしても今宵、深更に及んで書かざるを得ぬ一事なのである。
幼きころより、芸能の世界とは一端の繋がりも無き分際で、役者の巧拙、高低、優劣について喧しくホザいて来た私の、取り敢えずこれは、ここ三十年の歌舞伎界に於ける結論である。
私が歌舞伎にようやく間に合った昭和末期に生き延びていた役者の中で、誰が一番上か?
これまでの私の来し方を知る人からすれば、その答えは当然疑いも無く、六世歌右衛門という事になろう。
また私もそう信じて疑わなかった。
歌右衛門の魅力に虜となりながら、梅幸に対して「絶対にこの優の価値を埋没させてはならない」というナニサマの如き心酔を体すると言う、複雑な揺れを抱きながら、結局両優の楽屋へ親しく通い、昭和歌舞伎の黄金時代の残滓を噛み締めたのである。
しかしながら、私の、思春期、青春期、そして甚だ頼りないながらも一応の意味で「大人」になって行くその過程で、最も影響を与え、人生というものに更なる確信を与えてくれたのは、他でもない雀右衛門であった。
江戸歌舞伎の味、などと言ってみたところで、昭和に生まれた私の如きに何言い分もあろう筈も無いが、唯一つ「後から生まれて来た者の憧憬」という特権は有るのである。
七代目幸四郎の女婿として、舅から女形になる事を命じられた時から、この人の「真に勁い」人生は始まったのだろう。
私は「己とおのれの身体を殺す」という修業の高潔なる成果を、雀右衛門によって知り、その後の「ボンジャリとあどめなき」傾き、崩れの美を官能的に体感する事が出来た。
これは、歌右衛門でも、梅幸でもなく、ましてや玉三郎では到底及びも付かない「無心の境地」であり、いつ、如何なる伝統諸芸であっても「自由」というものが最高の規範であるという事を扇の一本から灰匙に至るまでの真理とし、追及し、追及し尽くして、そこに類い稀なる生命力が残っていて初めて、成し得た絶無の芸なのである。
歌右衛門は絶対である。が、絶対であるが故に、女形というものが本来持つべき儚さ、つまり「立役あっての女形」という、歌舞伎劇の、ゆるがせに出来ぬバランスを崩し、その劇壇における立場とあいまって「強く、偉い女形の道」を選んだ。
梅幸はまた、あまりの素材の良さ、その御曹司気質によって、練りに練って「藝を創り上げる」という境地とはかけ離れていた。
杓子ばって能書きは垂れたが、私の言いたい事はトドのつまり「近年の女形の中で、一番可愛いのは京屋である」という事だけである。
実に昔、歌舞伎が出来たばかりの頃から、歌右衛門、玉三郎という近代の両極に高度に発達する中で、「あれが一番いい時代だった」と言うべき、実に、まことに貴重な数年であったろうと思う。
度々の助六出番の中でも、京屋の道中ほど江戸吉原のさんざめき、キップ、豪奢を感じさせてくれた揚巻はなかった。
どうしてあの様な女形に巡り合う事が出来たのか?心あるものはこれからの人生の日々、嫌というほど痛感し、京屋恋しさの病に陥るであろう。
雀右衛門の美しさ
その奥義は、首にある。
歌右衛門も梅幸も、無論女形ゆえ首は使った。
しかし、その多くは「横使い」であった。
雀右衛門は「縦使い」をした。
女形の武器である「顔」を、しばしば封じ込め、うなだれる事によって観客の心を捕らえたのである。
その結果、雀右衛門の舞台姿には他の誰にも無い「全身の哀れ」が現出したのである。
あの肩の線を見よ。腕の捻りを見よ。そして、あの首のうなだれを見よ。
「嘘」で固めた筈の女形に、最も「嘘の無い女」を感じるという事。
そこに、風情、嫋嫋たる風情が厳然と漂う。これに、この芸に、現代の如何なる芸が敵うと言うのか?
雀右衛門晩年の「豊後道成寺」
この舞台で私は、生まれて初めて「をどり」を観て涙した。
高校生の時、フェリーに乗って大阪まで通い、勘十郎、藤子、徳穂、はん、雄輝、五人の「最高舞踊会」も観た。歌右衛門も梅幸も、富十郎も勘三郎も観た。
富十郎との「二人椀久」は、生で何度も観、いまだに夜中酔いを覚えると、やおらビデオを取り出し、連れ舞いする酔狂の肴。感極まっては激情する、生涯の友である。
しかし、生で「をどり」を観て泣いたのは生涯でただ一度「豊後道成寺」が後にも先にも一度きり、これっきり。
私は何故に、あの時、あの様に涙したのか?
分からない。分からないながら、兎も角もその舞台面を観ていて「有難い」という感情を抑え切れなかったのである。
常にも増して、首がものを言った。
右へ、左へ傾げる度、そこに極楽浄土が現出した。その姿は、まさに菩薩であった。「ほとけさま」(熊谷守一)であった。
齢八十の老優が、二千人の劇場を完全に我が物とし、それすら突き抜けて、世界を、宇宙を掌握した。「自由」とはこれか、と永年の謎が一度に氷解した。
捨身これ無上なり。また無敵なり。
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